西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉 X

3月の聖句

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文:滝瀬 一 副牧師

「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」

       ペトロの手紙 一 第2章24節

 この3月1日は水曜日で、この日をキリスト教会では灰の水曜日と呼びます。そしてこの日から、教会は、今年は4月15日まで、レントと呼ぶ期節を過ごします。
 教会には特有のカレンダーがあって、それを教会暦と呼び、これを重んじて一年を過ごします。クリスチャンでも、毎日の生活の中で、その中心である聖書の福音への信仰を見失ってしまうことがあるなら、その教会暦に従って教会が今過ごしている期節の意味から、その信仰に改めて気づかせてもらうことは、大切なことだと思います。
 このレントは、教会が聖書の言葉からこれがわたしたちの救いであると知らされ、それで信じ、今もなお伝えている神の子イエス・キリストの十字架の死を、特に大事に覚える期節です。教会とクリスチャンはその生活の内にキリストの苦しみの跡を一つひとつ残すようにして過ごす、その苦しみを慰めある模範として生きようと願う期節です。
 鞭打たれた後のみみずばれのように、わたしたちの罪の跡が、いつでも現れてくるその不幸な命の姿が、キリストの体に一つひとつ、残らず、刻まれました。
 わたしたちが自分の生活の内に今も苦しみを覚える時、その苦しみが本当はキリストのものであることを、聖書はわたしたちに告げ知らせます。わたしたちの苦しみ、その罪をすべて担うキリストの姿は、「見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない」(1)ものでした。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」(2)のです。
 この期節にわたしは改めて思います。わたしたち人間はもともと尊く、幸いに生きるものなのだ、しかし、それがどうしてもできないでいるのだ、と。そして、それを唯一人よく分かっておられるのは、十字架上に痛み苦しむみ子キリストの姿にわたしたちの幸いを求められた神だけなのだ、と。
 知らなくても済むようなことはこの生活の内に幾つもあるように思います。けれども、イエス・キリストの十字架の死、このことは、わたしたちがどうしても知らなければならないことではないかと思われてなりません。

注1。灰の水曜日は大斎始日とも言われる。またレントは受難節、四旬節や大斎節とも言われる。
注2。(1)(2)はいずれも旧約聖書イザヤ書第53章より。

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