西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉 ]

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文:滝瀬 一 副牧師

「『しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。』」

    マタイによる福音書第5章44、45節

 わたしたちが平和を願い、求めるとは、具体的にどうすることを言うのでしょうか。一つそこで考えられることは、愛する、それも、敵を愛する、ということであると思います。
 イエス・キリストは、敵を愛することの勧めと励ましをなさいました。わたしたちが自分の敵をさえ愛すること。ただこのことは、うっかりすると、単なる夢物語のようにわたしたちには聞こえます。けれども、よく注意して、そのお言葉を見てみると、敵という言葉がそこにあります。しかもその敵に対して、他でもない、愛、愛するという言葉が使われているのです。だからこれも、わたしたちの生活の暗闇まで、真実に、一切救い取るために、キリストが教え示されたことであると分かるのです。
 キリストは、愛や喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和また節制という、その幸いを造り出す要素に、わたしたち自身がどれほど遠く、乏しい存在であるかを、よく分かっておられました。それで飢え渇いて、枯れた谷間に一筋の細い水の流れでも期待するように、自分たちの幸いを求めていながら、それを得ることのできないわたしたちの弱さ、悲しみに、こころを寄せてくださいました。わたしたちは自分たちの内に幸いを見出すことができない。これはよく分かることではないでしょうか。しかしそれならどこにそれはあるのか。誰がそれを造り出してくれるのか。それはきっと、「『しかし、わたしは言っておく』」、そう言って、わたしたちの幸い、平和への道筋を明らかにしてくださる方をおいて他にないのだと思います。そして、そのキリストが導いてくださる愛することは、わたしたちが、自分の敵をも含むどの人に対しても、またどの事柄に対しても、最善を尽くしたことに、期待通りの報いや応答どころかむしろ大きな損害を被ったようであるのに、そこに、聖書の神の愛と恵みが働いてくださるのを一心に信頼すること、であるのです。このことは夢物語でも、根拠のない絵空事でもありません。これは正にわたしたちのためのキリストご自身の生涯そのものであるからです。
 キリスト教会は、自分が愛することができないことを知って救われた者の生きるところです。また、この愛によって生かされるところです。だから、その強い勧め、大きな励ましとして、キリストの弟子である教会は、彼の次のお言葉を、繰り返しくりかえし読み、聞きます。まるで挑戦するように、そこに生きようとするのです。「『平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる』」(注)。

in Christ.

注。新約聖書マタイによる福音書第5章9節   

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