西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉 ]U

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文:滝瀬 一 副牧師

「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。」

ヨハネによる福音書第1章35−37節

 キリスト教会の礼拝では聖書を説き明かす説教を行います。これは、聖書の言葉に基づいて、イエス・キリストがわたしたち皆の、こころから信頼すべき救い主であることを明らかにするものです。端的に、イエス・キリストを紹介し、伝えるものです。わたしたちは礼拝でのその説教の言葉の中にキリストを知ることができます。ただ、そこで大事な観点があります。その説教、その言葉は、キリストを目撃した人々の証言の伝達であるということです。
 上に掲げた聖書の言葉をもう一度見てみます。「見よ」と言われて、ここでは救い主キリストを見つけた、その、どれほどか分からぬほどの喜びが、書き表されています。聖書は、特に福音書は、それ自体が、救い主発見の喜びに貫かれています。その喜びの目撃証言が、共に暮らす隣りの人に、そして次代へと連綿と伝えられ、今、わたしたちにもそのまま届けられてきています。説教は最初のキリスト証言の伝達である、これは、今日においても決して変わることのない、教会の信仰を理解していくための大事な観点であり、正に扉であると思います。新約聖書中の他の文書には、キリストについて次のように書いています。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。−この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。−」(注)
 ですから、わたしたちがキリストをこの目で見るということはなくても、キリストを直に見た人々の証言の言葉によって、キリストがどのような方であり、何をなさっているかをあたかも目の当たりにするという、キリストへのそのような信仰の眼差しを持つことにおいては、わたしたちもキリストの最初の発見者たちと同じだと思います。ともかく、そのようにして、わたしたちもキリストに本当にお会いしたいと思うのです。
 イエス・キリストを見ることができるようにと願います。聖書を開いた時に、そこから、キリストもわたしたちを見つめてくださるのですから。 

in Christ.

注。新約聖書ヨハネの手紙 一 第1章1、2節。


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