西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉 ]V

11月の聖句

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文:滝瀬 一 副牧師

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」

ルカによる福音書第7章13節

 11月の最初の日曜日、第一主日は、聖徒の日や永眠者記念日と呼ばれて、礼拝が守られます。これは、キリスト教会で、生きて、そして既にいろいろに死んでいった同信の者たちを、礼拝の中で偲び、記念するものです。教会は信徒たちの毎日の生活を大切にします。だから、彼らの死をも本当に大切にするのです。死の時には、こころを込めて、葬りの式を行う。上に掲げた言葉は、新約聖書ルカによる福音書第7章11−17節にある、僅か7節分の、聖書物語の一節です。このイエス・キリストの物語は教会では葬儀の折毎に想い起こされます。この短い物語に、わたしたち皆の救い主として聖書が告げるキリストのお姿がよく表されています。このわたしを救うためにイエスが来られたとはどういうことか、それを知るために最適な箇所がここです。この物語には、わたしたち人の死を進んで憐れみ、その悲しみに深く同情してくださるキリストのお姿が語られてあるのです。
 わたしたちが最も恐れること、それから救われることこそ本当の救いではないかと言えるのは、やはり、死であると思います。死は厳然としてあり、誰もそれを避けることができない。またそこで、それに逆らう力ある言葉が出てこない、悲しむ他ない、そんな強いマイナスの力を、死は持っています。わたしたちの誰にも死はあります、わたしからわたし自身の死を奪うことは誰にもできない。そこで、わたしたちを捕らえる思いは、結局は諦めです。わたしたちは愛する者の死に際して慟哭さえするけれども、しかし結局は、諦めて、その死の流れに乗る以外にないと考えるのです。
 キリストはしかし、そんなわたしたちとは違うのです。キリストは、死に際し、死に対して、わたしたちの思いもかけないことをなさいました。ただわたしたちのために。
 「主はこの母親を見て、憐れに思い」とここに書かれています。この「憐れに思い」というこころの動き、これは、新約聖書の中で特に聖書の神にまた主キリストに対して用いられる表現です。これは、今自分の関心はすべて、隣り人の痛みに注がれている、ということです。死がここにもある。その死の悲しみと涙の生活を過ごしながらこれはどうしようもない、諦めが肝腎なのだと、そう思わせている。キリストは、その死の絶望、暗闇の中に踏みこんでこられる。神の子がそこに。誰よりも深い同情、痛む思いをもって、キリストはそこにいてくださる、そういうのです。神の子がそれほどにこころを動かしてわたしたちの死に伴っていてくださるという。わたしたちが救われると言うなら、ここにこそそれが現れてきているのではないでしょうか。
 教会は今日も、このイエス・キリストを、そしてこの物語を宣教します。あなたを救う方がいるならば、このキリストをおいて他に決してないのだと。 

in Christ.

 


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