西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉 ]W

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文:滝瀬 一 副牧師

「『マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」

マタイによる福音書第1章21節

 寒さ美しい期節になりました。キリスト教会の暦ではアドヴェント、待降節と呼ぶ期節に今臨んでいます。この期節には、クリスマス、つまりイエス・キリストの降誕を記念する時を迎えつつあるということと、併せて、そのキリストがこの世の終わりに改めてここに来られる再臨の出来事によく備えていようということの、二つの意味があります。いずれにしても教会は、この期節に特に、キリストを待っているのだということになると思います。
 聖書の言葉の通りに、神の子が、わたしたちを救うために人間となりこの世に生まれてこられたのは、一度限りの出来事です。ですからこのアドヴェントには今、その降誕に備えるというよりも、むしろ、キリストが再び来られるその時に備える、それを待ち望んでいるということの方が、意味合いは強いのかもしれません。ただその再臨も、キリストの降誕があったからこそ信じることのできる事柄です。
 キリストの降誕の物語を明らかな形で記述しているのは、新約聖書の四つの福音書の中ではマタイによる福音書とルカによる福音書です。それで、この二つの福音書の記事を丁寧に、一緒に読んでみると、同じ事柄もあれば異なることもそこにあることにすぐ気づかされます。違いの一つは、キリストの降誕を予告する天使の言葉をヨセフという人が聞いたのかマリアという人が聞いたのかということ。他方、同一の事柄の最たるものに、やはり、生まれてくる子どもがイエスと名付けられたということがあります。
 神の子が人としてこの世に生まれてこられるのにイエスと名付けられた由来は、「この子は自分の民を罪から救うから」だと言われています。イエスとはイスラエルにおいては伝統的な名前です。ありふれた名前だとさえ言えます。この名前は端的に、主なる神は救いである、このことを意味する。長男の誕生に際しよく用いられたのだそうです。
 ただ、神の子が、わたしたちのこの世界で一緒に生きてくださるのに、他ならぬこの名前をその身に帯びてくださいました。それは、神は怒りであるのでも、裁きであるのでも、無関心や無力であるのでもなくて、確かに生きておられる神はわたしたちの救いであり祝福であると明らかにしてくださったということです。その救いと祝福の具体的な内容がキリストのあのご生涯に現されています。神の子は、イエス、この名前でなければならなかったのです。
 このイエスという名前、この言葉を、わたしたちは、この期節にこそよくこころに留めていたいと思うのです。それこそ、他のどんな事柄よりも大事にしていたい、そして大胆にも、この方はわたしのイエス、この方は神からのわたしの救いであると、こころ高く歌いたいとさえ願うのです。

in Christ.

 


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