西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉◇

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文:伊藤 智 副牧師

「トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。」 

    ヨハネによる福音書第20章28節

 主イエス・キリストの復活を喜び祝うイースター(復活祭)の日を迎えました。「主イエスの復活を喜び祝う」と、こう言われてもあまりピンとこない人の方が、多くいらっしゃると思います。
 聖書がわたしたちに伝えようとしている主イエスの復活の出来事とは、遺体となった主イエスの心臓が突然ドキンドキンと動き出し、息を吹き返しムクッと起き上がった、というものではありません。
 主イエスの復活の姿に出会った十二人の弟子の一人トマスという人は、とても慎重な人でした。トマスは、主イエスの復活を理解することが出来ませんでした。ですから、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言いました。
 考えてみれば、主イエスの復活を信じるということは、当たり前のことではないと思います。なかなか難しいことであると思います。あるいは、信じているといっても、ただ漠然と死人が甦ったことを信じることが信仰だとそう思われている人もいるかもしれません。
 復活された主イエスは、トマスに対して「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われました。
 周りには何人かの弟子たちがいたにもかかわらず、主イエスは、トマスだけに向かって言われたのです。トマスという疑い深く、なかなか信じ得ない者を目指して、主イエスは来られるのです。復活の主は、あなたが信じない者ではなく、信じる者となって欲しいそういう願いを持っておられるのです。
 トマスは、復活の主の姿を見ても実際には、ふれませんでした。目の前におられるのですから、ふれてもよさそうなものですが、ふれなかったのです。トマスは、ふれもしないで「わたしの主、わたしの神よ」と言ったのです。トマスは、本当に復活などあり得るのかということを、体を見てみたり、傷を触ったりして納得したかったのです。しかし、主がそこにおられる以上、そうすることはなくなったのです。信じるとは、神が甦らせた復活の主をみることなのです。神が与えてくださった約束(ヨハネ3:16)を信じることなのです。そして、この望みを確信して今を生きることなのです。主の復活とは、信じて当たり前、自分は大丈夫と言える者に対してではなく、罪深い者、希望を失いやすい者、躓きやすい者、自分なんか生きていてもしょうがないと思う人に限りない望みと永遠の命を約束するものなのです。

in Christ.

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