西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉◇

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文:伊藤 智 副牧師

「わたしたちの言葉で神の偉大な業を聞こうとは」 

    使徒言行録第2章11節

 この月は教会の誕生日である聖霊降臨日を迎えます。「聖霊」について考える時、わたしたちはまず第一に使徒言行録第二章に記されている聖霊降臨の出来事を思い起こします。あの時、聖霊に満たされた主イエスの弟子たちは別人のように変えられました。それまでは、主イエスの十字架の死によって伝道の望みを失い、人目を避けるようにしてそれぞれの生活に閉じこもっていた彼らが、突然エルサレムに集まっていた大勢の人々に向って語り始めたのです。
 これは、どういうことでしょうか。わたしは、「聖霊の働き」に満たされるとは、自分には到底成しえない事ができるようになることだと思っていました。もしくは、自分は罪人だから自分の思いで事を成してはいけないという罪悪感から、聖霊が人間にはできないことを行ってくださるのだと思っていました。ですから、自分の理性や思考が働かないように抑制し、何か超越的な力に身をゆだねてみようと思うようになりました。あの弟子たちもそうやって自分で考えることを止めて、何かに身を委ねたから「酒に酔ってるような」状態になったのではないかと思いました。
 でも、弟子たちはそうではなかったのです。弟子たちは、はっきりとした正気の言葉を語ったのです。弟子たちは、主イエスが十字架にかかり、復活なさったのはこのわたしのためであったということを告白したのです。聖霊の働きとは、あの十字架にかかり復活なされた方がわたしたちの救い主であることをはっきりと知らせるものでした。このことが弟子たちをひとつにする力となりました。それから、弟子たちはどうしたかといいますと、「活き活きとした群れ」をつくったのです。そこにキリストの教会が誕生したのです。
 しかし、このような躍動感ある教会がその後の歴史の中でいつまでもそれを保ち続けることができませんでした。教会が形式だけになってしまい、人々を決まり事や規則によってがんじがらめにしてしまったこともありました。互いの成長よりも互いを裁きあうことに熱心になったこともありました。ある人が、「教会は本来、主を証しする群れであったはずが、その後、法的な制度と形式で固められた組織体になって生命力を失った」と言いました。
 活き活きとした教会とは、神を礼拝する教会です。みんなで神の御言葉に聴くのです。重ねて、わたしたちが語るべき言葉を聴くのです。主がわたしたちに語りかける御言葉とは、わたしのもとに帰ってきなさいという招きの御言葉なのです。あなたが安心することのできる場所は、ここであると。そのことを聴くのです。人間が安心して休める場所とは、誰にも邪魔されないでひとりになれる場所のことではありません。また、安心感を求めて、規則さえ守ればいいということでもありません。人間の真実の休み場とは、神のもとにあるのです。神のもとでこそ人間は、大胆に生きる者となれるのです。教会は、そのことを喜びをもって告げるところです。

in Christ.

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