西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉◇

8月の聖句

7月の聖句へ

文:伊藤 智 副牧師

「主は、国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」

    イザヤ書第2章4節

 わたしたちの教会は、日本キリスト教団に属しています。日本キリスト教団では8月の第1週目を平和聖日と定め、平和を求め祈る日としています。なぜ、そのような聖日を守るようになったのかといいますと、日本キリスト教団は、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。わたしたちの国が罪を犯したとき、わたしたち教会もまたその罪におちいりました。終戦から50年余を経過し、わたしたちの国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたしたちは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ歩んでいます。
 わたしたちは、礼拝を通して、主なる神が世界の歴史を導かれていることを学びます。わたしたちは、その神の導きに、深い感謝と共に畏れと責任を痛感するのです。
   紀元前700年代に活躍していた預言者イザヤは、神から預けられた御言葉を叫び続けました。「彼らは、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」と。平和を激しく熱望する言葉です。これは、預言者だけの願いではなく、全ての時代、全ての人間の願いです。なぜ、イザヤはこの御言葉を叫び続けなければならなかったのか、それは、国が国に向かって剣を上げ、戦うことを学び続けていたからでした。
 それから、2000年以上経った今でも、戦争はなくなっていません。ある方が、「戦争のない時代に生まれたかった」と言われました。それに対して、いつ戦争のない時代などあっただろうかという人がいます。それが、人間の歴史だと言い切る人もいます。そして、神なき時代とまでいわれます。
 聖書の伝える平和とは、戦争がなくなるということだけをいうのではありません。強国に従い、波風を立てずにいる。それは、表面的には、平和であるかも知れません。しかし、心の中は相手への憎しみと恐れに満ちているならば、それは偽りの平和です。
 では、聖書の語る平和とはなんでしょうか。それは、主イエスが御自分で十字架にかかることにおいて、平和が実現したということです。人間の憎しみと憎しみがぶつかり合い、傷つけあうところで、主イエスは、十字架にかかったのです。「彼が担ったのはわたしたちの病。彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」
 教会の主と言われるキリストがそのようになされたのであれば、わたしたちはそれにどう応えてゆけばいいでしょうか。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」そう願わざる得ません。
 

in Christ.

TOP
mail:nishichiba@church.jp
Copyright (c) NISHICHIBA CHURCH. All Rights Reserved.