西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇聖書の言葉◇

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文:伊藤 智 副牧師

「わたしが顧みるのは 苦しむ人、霊の砕かれた人 わたしの言葉におののく人。」

イザヤ書第66章2b節     

 苦しむ人、砕かれた人とは、へりくだった人、悔いる人のことです。もとの言葉は、どちらも同じ言葉で、砕かれるという意味なのです。
 二人の神学者が、この砕くという言葉についてこう語っていました。ある学者は、「砕くとは、第二イザヤのあの苦難の僕とも関係する重要な言葉で、人は神によって砕かれ低くされなければ、自分から砕け、悔いることは出来ない。至高至聖の神は、われわれの高ぶりを稲妻のように打ち砕き、しかるのちに、自ら降ってわれわれを癒し、新しい霊を与えて、我々と共に住まわれるのだ。」
 もう一人の学者は、「詩編51編19節「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません。」と言う言葉がありますが、この打ち砕かれた霊 とは、それは文字通り、粉々にされ、支離滅裂になった人間を指すのだ。砕けた、悔いた心とは、敬虔的な内面や、宗教的在り方を装うものではなく、実は、砕くとは、本当に支離滅裂な状態、打ちひしがれる状態になることだと言うのです。」
 イザヤ書63章15節から64章において、エルサレムの民のまことに身勝手とも思えるような、祈りがあります。「わたしの心を頑なにしないで下さい」、どうか、「わたしのところに立ち帰ってください」と。なぜこのような目に、また、なぜこんな思いにならなければならないのですかと嘆くのです。これは、わたしには、何度でも読みたいと思える肉薄した祈りでありました。
 そこで、いつも思わされることは、わたしたちは、神によって砕かれ低くされなければ、自分から砕け、悔いることは出来ない。ということです。そして、文字通り、粉々にされ、支離滅裂になるのです。こんな目にあってもわたしは、悪くないとまだ言えるのなら幸いでありますが、こんな思いになるのはわたしがあなたに罪を犯しているからだとしか思えない時があります。わたしが罪を犯したと、そう認めざるを得ないことがあるのです。
 しかし、そのような者を神が、顧み救い出して下さると預言者イザヤは語るのです。
                 

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