西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「子どものように受け入れる」◇

2013年6月2日

イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

ルカによる福音書18の15−17

 今日のお話は、主イエスが人々にみ言葉を語っている時に、小さな子どもたちを連れてきた人々がいて、弟子たちが注意すると逆に主イエスは子どもたちを呼び寄せて、神の国にはこの幼な子のようにならなければ入れないとさとされた、というもので、マタイ、マルコにも同じ出来事が書かれている。
 但し、各福音書によって少しずつ違いがあって、マルコが一番詳しく記している。ルカは少し省略をして焦点を一つに絞っている。つまり神の国に入る者は誰か、ということである。
 まず15節に「〜乳飲み子までも連れて来た。」とある。乳飲み子という言葉はマタイやマルコにはなく、ルカだけが用いている。これは要するに赤ちゃんという意味である。「子供」と訳してある言葉は12歳以下の幼児・児童を指している。
 人々が幼な子らを主イエスのもとに連れて来たのは、当時祝福の祈りをしてもらうために祭司や長老たちのもとに祭の日などにつれてくる習慣があったので、それにならったのだろうと言われている。当時は病気や飢饉、戦争のために亡くなる子どもが多く、親たちにとってこれまで多くの人々の病を癒された主イエスに手をおいて祈ってもらえたらと願ってのことと思われる。
 しかし、弟子たちは「これを見て叱った」というのである。恐らく主イエスのことを心配し、主イエスのためにと思って、主イエスを守るためにそうしたのだと思う。多忙を極め、沢山の人々に神の国の福音を知らせねばならない。敵対する者は多く、十字架も迫っている。そのような主イエスに何もわからない赤ちゃんを連れて来るなんて、と思ったのであろう。当時、子どもは律法を守れないので神の国から遠い存在であり、神の救いに値しないという考えがなされていたとのことである。クムラン教団には「愚か者、馬鹿者、年少の子どもは共同体に入ってはならない。そこには聖なる使いがいますから」という教えがあったそうである。まことに差別的で理不尽な言葉であるが、当時はそのように言われていたのである。
 ところがこれに対する主イエスのお言葉は全く意外で、彼らとは正反対の考え方であった。主イエスは子どもたちを呼び寄せられた。そして「神の国はこのような者たちのものである。」と言われたのである。これは先程の子どもは律法を守れないので神の国から遠い、という考えとは逆である。「このような者たち」と訳してあるが「この者たち」のものである、と訳すことも可能で、これだともっと意味が強くなってくる。
 さらに主イエスは「はっきり言っておく」、これは「アーメン私はおまえたちに言う」というルカ福音書では6回使われている(4:24,12:37,18:29,21:32,23:43)が主イエスだけの言い方で重い意味のある言葉である。そう言って「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と語られた。
 これが今日のメインテーマ、(主題)である。「子どもは神の国には入れない」と言われていたのに主イエスは逆に「子供のように受け入れる者でなければ神の国に入れない」と言われた。それでは「子供のように」とはどういうことか。
 よく、子どもは純真、無垢で、罪がなく、天使のような存在であると言われる。確かに無邪気である。が案外利己的で、人のことなど考えない、自己中心的、行動も衝動的なところがある。
 しかし、そのことをかくすすべも知らない、ありのままである。勿論律法を守るとか、人間としての徳とか人格とか誇ることのできるものは何もない。また自分の力で生きていくということもできない。
 だから、両親に特に母親に全面的に依存していく他ない。そしてそれ故全面的に信頼し、両親の愛情を疑うことなく受け入れる。これが主イエスの言われる子どものように神の国を受け入れる、ということ。
 私たち大人にもこのような神に対する信頼と、神の国つまり、救いを受け入れる、素直さが求められる。私たちにとって神さまは父である。私たちは神の子どもたちなのである。神は私たちを神の子として造って下さった造り主。だから神さまは私たちをよく知っておられ、又その私たちを愛して下さっている。神さまは私たちに信頼して欲しいのである。そして神さまの愛を受け取って欲しい。求道中の方が、まだ聖書やキリスト教のことをよく理解しきれていないので、自分はまだキリスト者となるような人間ではないのでと遠慮したり、躊躇したりなさることがある。しかし、聖書をよく理解することや人格を高めることは良いことであるが、それは神の国の救いを頂く条件ではない。あなたのことは、父であり、造り主である神さまがあなたよりもよく知っておられる。だから、神さまを信頼して、その救いを賜物として頂く。そのことを神さまは求めておられるのである。

文:木下宣世牧師

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