西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「十字架と復活の予告」◇

2013年6月23日

イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

ルカによる福音書18の31〜34

 本日は小見出しにあるように主イエスが三度目の死と復活予告を語られたところである。第1回目は9章22節で、これはペテロの有名なキリスト告白あなたは「神からのメシアです」と答えたすぐ後に語られたものである。第2回目は同じ9章の43節後半から45節にかけて語られているが、ここには復活に関する予告はない。
 今日の3回目の予告が一番詳しく、具体的である。エルサレムへの旅も終わり近くなり、これが最後となる予告において、これからエルサレムでご自分の身に起ころうとすることを先取りしているかのようである。いわばこれからの出来事への導入とも言ってよい。
 しかし、この箇所の意味はそれだけではない。もっと重要な意味を含んでいるところであると思うのである。
 そのことを学ぶために、まず34節から入っていきたい。そこに「12人はこれらのことが何もわからなかった」と書かれてある。しかし、ここで主イエスが語られたことは明瞭である。べつにたとえで語られているわけではないので、それはこういうことを表すのである、といったような解説が要るわけではないし、難解な単語があってその言葉をやさしく説明しなければならない、ということもない。
 問題はここで主イエスによって予告されている事柄がどういう意味をもっているのか、ということであり、そのことについて彼らは全く理解できなかったのである。何故なら、彼らには、その意味が隠されていたからである。その隠された意味を聖書では奥義とか秘められた計画と呼んでいる。
 弟子たちは主イエスをメシヤ(救い主)と信じていた。だからこそ弟子となって、これまで主イエスに従ってきたのである。しかし、彼らは主イエスは王なるメシヤであると期待していた。だからあなたが栄光をお受けになるとき、1人を右にもう1人を左において下さいと頼んだりする。そういう弟子たちにとって、主イエスがここで予告されたことは全く考えられなかった。聞いてもそんなはずはない、と受け付けられなかったのである。
 しかし、主イエスは、そのことを言いたかった。そのことをせめて弟子たちだけにはわかってもらいたかった。あるいは聖書はそのことを伝えたかった。このことを証言するために聖書は書かれたのである。
 結局ここで主が言われたことは十字架と復活である。このことを3回くり返して書いている。マタイ、マルコも3回繰り返し書いている。3つの共観福音書が揃って3回も繰り返し、このことを書いているということは、キリストの十字架と復活が主イエスによって与えられる救いの源であり、これが最も大切なことなのだと言わんとしている、ということである。だからマルコは全体の3分の1、他の福音書は4分の1の分量を割いて主イエスの十字架と復活の記事を書いているのである。
 そして、このことは旧約聖書も預言していることである。教団信仰告白に「旧新約聖書は、キリストを証しし、福音の真理を示し」とあるように、聖書全体でキリストを証しし、キリストを通して与えられる救い、つまり福音の真理を示している。
 従って、このところはキリストの救いがどのようなものであり、どのようにして実現するかということを述べている重要な箇所なのである。
 そして、これは奥義であり、秘められた計画なのである。十字架の言葉は滅び行く者には愚かであり、復活ということもアテネの知者たちがあざ笑ったように、つまづきなのである。弟子たちだけが理解できなかったのではない。全ての人にとって受け入れ難い。しかし、そこに神の秘められた計画がある。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ロマ11の33)とある通りである。
 私たちにからみつく罪、ここに記されている主イエスに対する人間の仕打ちがその罪のみにくさ、根深さを示している。このような罪から人間を救い出すためには、キリストの十字架がどうしても必要であった。最近「献身」ということを考えさせられている。「橄欖乃枝」(教会月報)にも書いた。私たちの罪からの救いのためにはどうしてもキリストの献身が不可欠であった。昨年の年間主題聖句「キリストがわたしたちを愛して,御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださった」(エフェソ5の2)。このキリストの献身によって初めて私たちの罪は赦され、義とされる。そしてこのように十字架の死に至るまで従順であられたキリストを神は高く上げてくださった。つまり、復活と昇天である。これこそがまことのキリスト(救い主)であり、これこそが福音の真理なのである。
 そしてルカ福音書は24章に至ってキリストの復活を描き、キリストが閉ざされていた弟子たちの目を開き、旧約聖書全体にわたって、ご自分のことを説きあかし、弟子たちに福音の真理をわからせ、救いの喜びを味わわせて下さった様子を記す。そして「これが神さまの遣わして下さった救い主・御子イエス・キリストですよ、主イエスはこのようにして私たちに救いを与えて下さったのですよ」と証しするのである。
 願わくは、キリストの十字架と復活によって救いに与る者とされたことを信じ、心からの感謝を主にささげたいものである。

文:木下宣世牧師

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