西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「教会の原点」◇

2013年11月10日創立109周年記念総員礼拝

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神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。

テモテへの手紙 二 4章1節〜5節 

 本日は教会創立109周年の記念礼拝を皆様と共に守ることができ、心から感謝する。
 100周年を祝ったのがつい先頃という気がするが、もうあれから9年たったことに驚いている。又、個人的なことを言うと、私はこの教会に1988年に赴任してきたので今日は満25年目の創立記念礼拝となる。いつの間にか4半世紀が経ったことにいささかの感慨を憶える次第である。
 さて、創立記念礼拝は何のためにこれを守るのか。やはりこれまでの歩みをかえりみ、主の恵みと導きに感謝し、悔い改めるべきところを悔い改め、新しい思いをもって、さらに未来に向けて一歩踏み出す。それが創立記念礼拝の意味ではなかろうか。そこで本日の説教題を「教会の原点」とした。
 では西千葉教会の原点は何か。それは伝道の精神である。この教会は1891年に日本伝道を志して来日したスカンジナビアン・アライアンス・ミッションの宣教師たちが建てた教会である。この日本にプロテスタントの宣教師が初めて上陸した年は1859年であるから、彼らがこの国にやってきた時はそれから32年たっていた。そこで彼らはこの国でまだ福音が述べ伝えられていない地域、そして伝道に最も困難地域であると教えられた飛騨地方と伊豆地方に主力を注いだのである。まだイエス・キリストの福音を聞いたことのない人々に福音を知らせることが彼らの目的であったからである。これがスカンジナビアン・アライアンス・ミッションの精神であり、同時に私たちの教会の原点である。
 そこで本日の聖書箇所が示された。特に有名な「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」という御言葉である。このテモテへの手紙というのは使徒パウロが若き伝道者テモテにあてて書いたものと言われている。しかも6節にあるようにパウロは死を前にしている。そして3章10節から始まる最後の勧めである。即ち晩年のパウロがテモテに残した遺書のような言葉である。同時にこの箇所はこの手紙全体のしめくくりとも言われている。要するにパウロの生涯の終り近くに、時間的に最後の教えというだけではなく、伝道者パウロが自分の生涯の総括として後に続くテモテに伝えた勧めの言葉でもあったのである。1節の厳粛な言葉はそのような情況を表わしている。
 そしていよいよ2節の「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」という勧めがくる。パウロが自分の人生の終り近く、弟子のテモテに言いおいておくことは「御言葉を宣べ伝えよ」ということであった。
 使徒パウロの生涯を考えると、確かにパウロからはこの勧め以外には他に何も出てこないだろうと思う。彼自身の人生が伝道のための人生であり、彼にとっては伝道することがイコール生きることであった。(Tコリ9の16)「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」とさえ言っている。そのためにはどんな苦難、妨害、迫害にも屈しなかった。従ってパウロにとって伝道するのに折が良いも悪いもなかった。だからどんな時も常に伝道しなさい、という教えとなるのである。
 先程も述べたようにこの手紙はテモテに当てて書かれたものであるから、この勧めもテモテに対するものである。しかし、これは教会に当てて語られた勧めとして受け止めなければならない。私たちも折が良くても悪くても伝道しなければならない。しかしそのためにはどうしたらよいか。2節にある「とがめ」=良心に語りかける、「戒め」=罪を指摘し、正す、「励ます」=なぐさめに満ちた福音の言葉を語ることである。これらは「伝道」というより、むしろ、礼拝における説教と言った方がよくあてはまる。
 先日、前総会期の第1回教団常議員会で全常議員が伝道への思いを語った言葉を収録したものを読んだ。皆伝道への熱い思いを述べていて共感するところが多かったが、その中で気付いたことは何人かの常議員が伝道するためには礼拝を大切に守り、信仰を養われなければならないことを指摘しているということであった。これは示唆的である。伝道と礼拝は直結していて切り離せない。礼拝において救いの確信を与えられ、喜びと感謝にあふれれば、それが伝道へのエネルギーとなる。特に説教は大切。礼拝において語られる御言葉が伝道の中味となる。
 3節の言葉は現代にも通じる。これは元々異端的な教えがはびこることを言っているということであるが、今日も、健全な教えを聞こうとしない状況ではないか。現代人の宗教離れは顕著である。それでいてカルト宗教が多くの人の心を捕えている。人々が求めるのは自分の興味や欲望をかなえてくれる教え、耳ざわりの良い話、人間の知恵や理性を満足させてくれる思想体系等々である。そのような人々の求めに応じて、彼らの要求をみたすような教えを説く誘惑がある。あるいは人集めのための手段を考えようとする。丁度商品を買ってもらいたいがために何かおまけをつけるように。
 そうではない。福音を語ろうと思えばどうしても罪、裁きに触れざるを得ない。そこを通って初めて赦しと救いに至る。さらには聖化、再臨ということも述べないわけにはいかない。それは耳の痛い話になる。使徒言行録の2章ではペトロの説教に人々は「強く心を刺された」(口語訳)とある。そこに悔い改めが起こり、救いが起こるのである。
 真実をもって福音を割引なしで宣べ伝えなければならない。人間の機嫌や好みを気にして福音をうすめたものにしてはならない。このように福音が正しく語られ、聞かれる礼拝、そこから伝道が生まれる。それが教会の原点。そのことを確認して歩み始めたい。  

文:木下宣世牧師

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