西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「思いもよらぬ恵み」◇

2013年12月1日アドヴェント第一主日

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 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

ルカによる福音書 1章5節〜25節 

 今日から待降節(アドヴェント)が始まった。クリスマスまで主イエス・キリストの御降誕を待ち望み、その備えをなし、また同時に終末の日、主の再臨の時を待望し、その日のために信仰を整え祈りつつ準備する季節である。この時を意義深く過ごしたい。
 その時に当たり、ルカによる福音書の最初の物語であるザカリアへの天使ガブリエルの御告げのお話を読ませて頂いた。今日はここから待降節における私共の信仰のあり方についてみ言葉に耳を傾けたい。
ザカリアという人は祭司であった。エルサレムの神殿で行われる祭儀の御用を司る人である。そのザカリアが神殿で香をたく役に当たりその務めを行っていた時、突然天使が現れて御告げを語った。
 それは「ザカリアの妻エリサベトが男の子を産む。この子をヨハネと名付けなさい。この子は、イスラエルの多くの子らを主に立ち帰らせ、主の来臨の備えをする者となる。」という内容であった。しかし、それに対してザカリアは「何によって、わたしはそれを知ることができましょうか。私も妻も高齢で、とてもそのようなことは考えられません」と答えた。つまり「信じられません」と言ってその御告げを拒否したのである。そこでザカリアは口をきけなくされてしまった、という話である。
 ザカリアの答えは、正直な答えで、理にかなっている。7節に書かれているように2人の間には子どもが与えられず、老境に入って、今から子どもが生まれる年齢ではない。それは誰が考えても答えは変わらない。当然の答えなのである。
 それなのにどうして口を利けなくされてしまったのか。そこに実はクリスマスの大切な意味がある。
 まず気付かされるのは、このお話が旧約聖書とのつながりが深いということである。ここを読むとアブラハムとサラ夫妻のことを思い出すのではないか。彼らも子どもに恵まれず、やはり高齢になってからイサクが生まれた。その御告げを受けた時彼らもすぐには信じられなかった。先程の「何によってわたしはそれを知ることができましょうか」というザカリアの反論の言葉は実はアブラハムが初めに語った言葉である。(創世記15の8)
 しかし、約束の言葉はその通り実現した。このようになかなか子どもが与えられなかったという例は預言者サムエルにしても士師サムソン(士師13章)にしても幾つかの例が旧約聖書には出てくる。しかもそのようにして生まれてきた子は皆特別な使命を与えられて生まれてきた。
 次に天使ガブリエルだが、この名は旧約聖書ダニエル書に出てくる。(8章、9章,10章)そこを読むと、ガブリエルがダニエルに現れて御告げを語った時とこの箇所とは幾つかの共通点がある。例えばダニエルも口をきけなくなってしまった等。(ダニエル10の15) そして、ガブリエルが語った言葉はマラキ書から来ている。マラキ3:23−24(p1501)「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。」その前の16節の言葉はマラキ2章6節にも出てくる。
 つまり、ヨハネの誕生は、旧約聖書に救主が来られる前にその先駆者としてエリヤを送り、救主の来臨の備えをさせる、との預言があり、その成就なのである、ということである。これは、神が旧約の昔から計画し、預言していたことであった。
 しかし、ザカリアはその神の御心を理解し、受け入れることができなかったのである。彼はその時、神に香をたくという重要な礼拝行為をしていた最中であった。しかも、多くの同僚たちの中からくじで選ばれた、生涯でたった一回限りのお役目を果たしていた時であった。彼の生涯で神さまに最も近づいたと思われる時であった。しかし、その時彼は神の言葉を携えてきた天使を恐れ、かれの告げる神の御旨がわからなかったのである。
 これは彼等夫婦にとっては勿論、イスラエルの人々、否全世界の人々にとっての喜びの知らせであった。そしてザカリアはその事をどんなに祈り求めて来たことか。長年に亘って、数知れぬ程くり返し、熱心に祈り願ってきたことか。その祈りが実現する、と告げられているのに彼はそれを信じられなかった。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか」と答えるのみであった。
 これは私たちも思い当たることがあるのではないか。私たちは今礼拝している。聖書を読み、賛美し、祈り、御言葉に耳を傾けている。しかし、礼拝をささげているこの場で神と実際に出会うことを予想しているだろうか。祈る時もそうである。祈ってきたがこの祈りが本当にかなえられると信じ、そのために備えていただろうか。
 そこでザカリアは語ることを禁じられた。口が利けなくされたのである。自分の思い、自分の経験、理性、常識は黙らせなければならない。沈黙とはそういうこと。人間の思いや言葉を捨てる。そして神の御心に心を向ける。ザカリアは10か月の間沈黙した。そして、御告げの通りヨハネが生まれた時、まず神を賛美し始めたのである。(1章64節) クリスマスは神の人類救済の遠大な計画である。私たち人間の理解をはるかに超えた恵みの御業である。私たちには思いもよらぬ喜びの知らせである。これは信仰をもって受け入れる以外に道はない。心からの感謝をもって、神の御名を賛美する者となりたい。
 

文:木下宣世牧師

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