西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「み言葉の種を蒔く」◇

2014年1月5日新年礼拝

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主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて
わたしたちは夢を見ている人のようになった。
そのときには、わたしたちの口に笑いが
舌に喜びの歌が満ちるであろう。
そのときには、国々も言うであろう
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。

主よ、わたしたちのために
大きな業を成し遂げてください。
わたしたちは喜び祝うでしょう。
主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように
わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

詩編126の1−6

 明けましておめでとうございます。皆さまの上に神の恵みと導きが豊かに与えられるよう心から祈る。元旦礼拝でも申し上げたように今年の日本はどうなって行くのか心配な状況になってきた。特定秘密保護法、首相の靖国参拝、沖縄の基地移転問題、放射能汚染の問題、エネルギー問題等様々な問題をはらみ、中国や韓国との外交関係も緊張が高まり、多くの危惧や不安を感じざるを得ない状況である。願わくは、この国があやまちなき歩みをなし、世界の平和に真剣に取り組む働きをなすことができるよう祈る。
 さて、昨年私たちの教会は詩編103の2節「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」との御言葉を心に刻みつつ歩んできた。主の御計らいを数えるためには、恵みを真に恵みとして捕える信仰が必要であるが、その信仰の目をもって見ると神さまは私たちに実に多くの恵みを与えて下さっていることに気づかされ、聖名をたたえざるを得ないのである。
 それではそのように神さまの行き届いた御計らいを頂き、豊かな恵みによって生かされている私たちは次にどうあるべきかを考えた時、与えられた恵みを他の方にも知らせ、届けることではないかと思った。即ち、証しすること、恵みを宣べ伝えることである。
 そこで示されたのが詩編126の5であった。元来詩編126はイスラエルの民のバビロン捕囚からの解放と深く係わっている。新共同訳聖書によると、未来形に訳してあるが、神さまがイスラエルの人々をバビロンから母国に導き出して下さるという知らせを聞いてまるで夢をみているかのように思った。その時がきたなら自分たちは喜びにあふれ、主をほめたたえて歌うであろう。また諸国の人々もそれをみてヤハウエの神は偉大な業を成し遂げられたと賛美するであろう。
 そして3節からはぜひその業をなして下さい、と願う。「ネゲブに川の流れを導く」とは,「全く考えられない奇跡として」捕囚からの解放を実現して下さいとの意味である。ネゲブはカナンの南部の乾いた荒野の地域で、川が流れることはあり得ないところである。
それに段落を置いて5節6節の言葉が来る。これは祭儀の時に会衆が願う3、4節の願いに対して祭司が答える言葉とも言われている。涙と共に種を蒔くとは、考えてみると少し変である。種を蒔く時も収穫への期待に胸をふくらませて蒔くのではないか。しかし、これは当時の宗教的背景があるといわれる。エジプトでは種蒔きは神々の埋葬と考えられた。つまりヨハネ12の24にあるように一粒の麦は地に落ちて死ぬと考えられた。しかしそこから新しい命が再生して多くの実がみのる。つまり、捕囚からの解放は死から生命へという出来事であり従って涙から喜びの歌への転換という意味がある、ということである。
 しかし、単純に種まきの労苦と収穫の歓喜と考えていいのではという解釈もある。パレスチナの乾いた土壌に種を蒔くことの難しさを思う。日本でも、畑をすき、うねを作り、ていねいに種をまく、田おこしをし、あぜを泥でぬり、水を引く。
 私もここを難しく考えずに伝道とその成果という風に受け取りたい。日本の伝道も大変。カトリック460年プロテスタント150年未だ1%弱しかも減少傾向にある。本当に難しい。私たちの行っている伝道も労苦は多い。特伝の準備。チラシ、ハガキ、直接口コミ、でも仲なか来て下さらない。効果が出ない。だからやめてしまいたくなる。
 しかし、このみ言葉は、種を蒔く人は刈り入れの喜びが与えられる、と約束してくれているのである。道ばたに落ちたり、石地におちたり、茨の中におちたりして仲なか実を結ばないが、中に良い地におちた種があると30倍60倍100倍の実を結ぶ。あきらめて種を蒔かなければ、これは絶対に実を結ぶことはない。しかし、色々な困難はあっても、その苦しみに耐えて種を蒔き続けると神さまが実を結ばせて下さる。「私は植え、アポロは水を注ぐ、しかし成長させて下さるのは神である」そして収穫の喜びを与えて下さる。これはパウロという偉大な伝道者の実感であったと思う。
 そして受洗者が与えられると皆が喜ぶ。不思議な位嬉しい。神さまのプレゼントだと思う。だから今年は神さまの与えて下さる喜びを信じて、他者に証しし、伝える。自分にできることでいい。何もしないことだけは避けて、何かをしたい。
 今年はこの「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」を年間主題聖句に掲げて伝道と証しに励みたいものである。
 

文:木下宣世牧師

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