西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「驚きの知らせ」◇

2014年12月7日

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 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

ルカによる福音書1の26〜38


 いよいよ本年も最後の月12月を迎え、本日はその第一の主日を迎えた。そして教会の暦でいうと待降節(アドヴェント)の第二主日となる。もうすぐクリスマスを迎えようとしている。この時にあたり、待降節に相応しい聖書箇所はどこがよいか考えた結果、多くの人に良く知られているマリアへの受胎告知の箇所を示された。
 まずこの出来事が起こった場所はガリラヤ地方のナザレという小さな町である。これはその前に記されている洗礼者ヨハネ誕生の告知がなされた場所とは対照的である。ヨハネの場合その予告を受けたのはザカリアがエルサレムの神殿で御用をしていた時であった。ユダヤの国の中心のまた中心である。
 それに比べてナザレはエルサレムから見たら辺境の地の名もなき村と言ってよい。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1の46)と言われるような何の特徴もない、目立たぬ田舎の町だったのである。
 その町のマリアのところにあのガブリエルという天使が現れた。そしていきなり「おめでとう」と声を掛けたのである。「喜べ」という意味がこめられた言葉だそうである。そう言われてもマリアは何を喜んだらいいのかわからない。そもそも何で自分のところに天使が現れたのか?当然戸惑い、考え込んでしまった。恐らく驚愕したであろうし恐怖も感じたであろう。
 するとガブリエルはもっと驚くべきことを告げたのである。「あなたの胎には男の子が宿された。イエスと名付けられるこの子は神が先祖に約束したダビデの子なるメシアである。」
 びっくりしたマリアは「とんでもない。私はヨセフと婚約していますがまだ実際には結婚もしていない。どうして子どもが産めるでしょうか」と問うた。
 するとガブリエルは、「そうではない。生まれてくる子は聖霊によって身ごもったのであって、この子は聖なる方、神の子なのだ」と言った。
 まさに驚天動地の知らせである。あり得ない。信じられない。ガブリエルはその証拠としてマリアの親類エリサベトも身ごもってはや6か月になっているという事実を告げた。マリアはそのことを知らなかった。何故なら24節にエリサベトは身ごもると5か月間身を隠していたとあるからである。そしてこの知らせはマリアの心を動かしたと思われる。次の箇所でマリアは急いでエリサベトに会いに行ったとあるからである。
 ガブリエルはさらに最後決定的な言葉でしめくくる。「神にできないことは何一つない」と言う言葉である。議論の余地なしである。それを言われたら、こちらは何も言うことはできない。反発すら感じるような言葉である。この言葉に象徴されるように、この物語を読んで感じることは天使ガブリエルの強引である。びっくりするような、信じられないような事を一方的に述べているように感じられる。
 しかし、考えてみるとガブリエルは御使いである。彼は神から遣わされて来た。そして語れと言われたことを語ったのである。それが天使の役割である。だから、ここで語り合っているのはガブリエルとマリアであるけれども目に見えない本当の主人公は神さまである。ガブリエルが告げたことは神が語る言葉なのである。
 神さまはここで天使ガブリエルを通して、ご自分の救いの計画を語っておられる。それは人知を越えた驚くべき計画である。即ち旧約以来預言されているメシアとして御独り子をマリアから生まれさせるということである。クリスマスの出来事は私たち人間の歴史の中に神が上から垂直に介入された出来事であると言われている。人間の歴史への神の介入は何のためか。人間の救いのためである。その介入の仕方は? み子イエス様を、マリアを母としてこの世に生まれさせるという仕方である。
これは神さまの私たち人間のために下してくださった決断である。それは断固たる決断である。神さまはそれ程までに私たちを愛して下さる。(ヨハネ3:16)そこには神さまの強烈な意志が感じられる。
 この場面を読んで感じるガブリエルの言葉の強引さはその神の強い意志を表している。神の愛は強烈である。
 マリアはその神の愛の計画を受け入れた。自分の身が神さまの御用のため、御計画を実現させるために必要ならばお用い下さいと差し出した。それが恵みである。御子が自分の胎内に宿るということこそ神が自分と共にいて下さるということの徴なのだ、そう信じたからである。
 これは2千年昔のお話ではない。今日の私たちにも語りかける神さまの言葉である。マリアを選んだと同じように神さまは私たちを選び、「おめでとう、恵まれた者よ」と呼びかけ給う。そして御自分の計画の一端を担わせて下さる。
 「わたしは主のはしため、しもべです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答える者になりたい。
 

文:木下宣世牧師

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