西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「恵みと平和があるように」◇

2015年2月1日

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 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。―― 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

ローマの信徒への手紙1の1−7


 本日からローマの信徒への手紙をご一緒に読んでいきたいと願っています。この手紙はパウロの手紙の中では最も遅い時期に書かれたもので紀元50年頃のものだろうと言われています。表題の通りローマにあった教会の信徒たちに書き送ったもので、恐らくコリントで書いたと思われます。
パウロはまだローマに行ったことはなく、従ってローマ教会の人々は未知の人々でありました。後に出てきますがパウロはこのローマに行き、教会の人々を訪ねたいと強く願っていました。
そこで実際にローマに行く前にローマ教会の人々に自分の信仰を知ってもらおうとして書いたのがこの手紙です。そこで自分の信じている福音を語る内に手紙としてはかなり長い文書となり、その中に今日に至るまで、代々の教会の信仰の基準となったと言ってもよい福音の内容が記されることとなったのです。
今日はその初めの部分1節から7節を読ませて頂きました。新共同訳では、読み易くするため、幾つかの文に句切られていますが、原文のギリシャ語を見てみると、この箇所全体が1つの文章でできている形です。しかし、主たる文章は手紙の型式にのっとりパウロから(1節)ローマの人たち一同へ(7節)恵みと平和があるように(7節)という、差し出し人、受取り人そして祝福、挨拶という内容になっています。そして2節から6節はパウロ自身の言葉ではなく、当時の教会でよく用いられていた文の引用であると言われています。
今、文章の構造はどうなっているかということを話しましたが内容はどうかというと、自己紹介が大部分を占めていると言ってよいと思います。一番最初に書かれている言葉は「パウルス」、つまり「私パウロ」は何者であるかということを書き始めるわけです。それはまず、キリスト・イエスの僕であるということです。普通私たちは自己紹介というと、いつどこで生まれたか、親はどういう人であるか、学校はどこを出た、職業は何、家族は何人か、趣味は、好きなものや嫌いなもの、特技、資格等々を述べることが多いです。そしてできるだけ自分をアピールしようとします。パウロにもそのような材料はいくつもありました。(フィリピ3章5〜6節)しかし、ここではそういうことには一切言及しません。唯「キリストの僕」であるということだけです。僕というのは奴隷のことです。パウロはキリストの奴隷、即ちキリストのものであるということです。奴隷というと、いかにも不自由で、堅苦しいと感じるかも知れません。しかし、キリストの奴隷ということはパウロの主人はキリストということです。自分の主人がイエス様だということは、ある意味で最高ではないでしょうか。パウロは先程のところで、血筋、家柄、熱心な性格、律法への忠実等々はイエスさまに比べたら取るに足りない、かえって損失だと言っています。そのようなものは全部失っても全く惜しいと思わないと述べています。つまり自分はそのようなものの奴隷にはなりたくないし、そのようなものは自分の主人としたくないと言うことです。 パウロは後に出てくる箇所で、人間は罪に支配され、肉の欲に従っている存在であると言っています。つまり罪の奴隷ということです。しかし、イエス・キリストの救いに与って、自分は罪の支配から解放され自由を与えられた。それはまたキリストの僕とされたことなのだというのです。このイエス・キリストによって罪から解放され、キリストの恵みの内に入れられるということが福音の意味です。
パウロはこの福音のための使徒とされました。真に忠実な僕は主人の信頼を受け、主人の名代となることがあります。使徒は主人であるキリストの使者となって主人のかわりに、福音を宣べ伝えるのです。パウロはキリストにより託された福音を異邦人に伝える使徒として立てられたのです。これがパウロの自己紹介です。そしてこれがパウロの自己理解でもあります。
彼はキリストの福音の使者としてローマに行こうとしています。そして、そのローマにいるキリスト者たちのためにキリストの福音の使者として恵みと平和を祈ります。これはパウロの手紙の殆んど全ての冒頭に出てくる言葉です。ギリシャ人は「恵みあれ」(カイレ)と挨拶し、ユダヤ人は「平安あれ」(シャローム)と挨拶するのでその2つを合わせたのかも知れないが単なる慣用句ではなく、やはり深い意味があると思います。つまり、キリストの救いにあずかるのは全く恵みによるものであり、その救いにあずかった者に真の平和が与えられるからです。その意味でパウロはローマにいる同信の人々に、恵みと平和があるようにと祝福の祈りをささげ、自己紹介をしめくくるのです。
私たちも互いにこのような挨拶をかわしあう者となりたいと思います。

 

文:木下宣世牧師

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