西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「あの方は、復活なさった」◇

2015年4月5日 復活日特別礼拝

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さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

マタイによる福音書28の1〜10


イースターおめでとうございます。復活の主イエス・キリストの恵みが皆様の上に豊かにあるように、またキリストのよみがえりの命が皆様の内に満たされるよう祈ります。
 これまで受難節の間、マタイ福音書のイエスの受難物語を連続して読み進めてきましたので、本日と次週は引続きマタイ福音書の復活物語を読んでいきたいと思います。
 今読んだところはいわゆる「空虚な墓」の物語で4つの福音書がこぞって記しているお話です。要するに主イエスの御遺体をおさめてあった墓が日曜日の明け方には空虚になっており、それは主イエスが復活されたことを示す証拠であるということです。そのことを女性たちに告げるのは天使でありました。
 その中で、他の福音書にはないマタイ福音書の特徴は主イエスの墓には番兵がついていたことを記していることです。ユダヤ人の指導者たちは主イエスの弟子たちがその遺体を盗み出して、主イエスは復活したとウソの宣伝をしないようにと、墓石に封印をし、番兵をおいたのです。
 しかし、いくらそのようなことをしても無駄です。主イエスの復活の妨げになるようなことは全くありません。むしろ4節にあるようにこの番兵たちは天使が現れると、その威光に打たれ気絶してしまったのです。何の役にも立たなかったというわけです。主イエスはそのようなユダヤ人たちの妨害にもかかわらず、神さまの御計画通り3日目によみがえられました。人間がどんなに抵抗しても神さまの御業をおしとどめることはできないのです。
 一昨日の受難日聖餐礼拝において主イエスの贖いの死の意味について申し上げました。主は十字架の上で父なる神から裁かれ、見捨てられたのであり、それは神の呪いの死であった。そのことが主イエスの受難の本当の意味であり、主イエスはそのためにあれ程苦しまれたのだということであります。そのお蔭で私たちの罪は贖われ、赦されたのです。
 しかし、父なる神の救いの御計画はそれで終りではありませんでした。主イエスを死者の中からよみがえらせ給うて、そのよみがえりの新しい命を私たちにも与え、私たちを神の国の世継ぎとして下さったのです。これは私たち人間の知恵や理解をこえた神の「秘められた計画」です。死者の復活!一度死んだ者がよみがえる?これは主イエスの弟子たちでさえ信じられなかったようです。人間は死んだら終わり。これは厳然たる事実であり、誰にとっても確固たる信念となっています。
 しかし、天使は「かねて言われていたとおり、復活なさった」(6節)「あの方は死者の中から復活された」(7節)と言うのです。そして弟子たちに「あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と告げなさいと言うのです。これはマルコ福音書とマタイ福音書に出てくる言葉です。これはどういう意味でしょうか。ガリラヤは主イエスと弟子たちの出発点でした。だからもう一度出発点に返れ、という意味だと私は理解して来ました。しかし、今回ある方の説教から少し異なる考え方を学びました。
 今弟子たちはエルサレムにいます。しかし、エルサレムは彼らにとっては旅先です。彼らは主イエスに従ってガリラヤから旅をしてきたのです。しかし、その主イエスが死んでしまわれた。そうしたら、彼らはどうするでしょうか。自分たちの出身地に帰る以外にないでしょう。しかも、失意と落胆の内に。その様子はルカ福音書のエマオの物語やヨハネ福音書のガリラヤ湖畔の出来事を見ても明らかです。しかし、主イエスは絶望的な思いを抱いてガリラヤに戻ってくる弟子たちの先回りをして、彼らを待ち受けているというのです。弟子たちはそこで復活したキリストにお目にかかれる というのです。
 その約束を裏づけるかのように、急いで弟子たちのところに向かおうとした婦人たちの前に早くも復活の主イエスは姿を現わされた。そして「喜びなさい」と声をかけられたのです。そして今度は「兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」と言われた。自分を裏切った弟子たちを「兄弟」と言って下さる。そしてガリラヤへ行くように、と命令形です。そして「会うことになる」とこれは必ずそうなる神の必然であるとおっしゃるのです。
 これでも人間は死んだら終わりでしょうか?キリストはよみがえられました。そして信じられない弟子たちに会って下さいます。彼らの悲しみや絶望を打ち破り、希望と喜びに変えて下さいます。

 

文:木下宣世牧師

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