西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「聖霊に満たされて」◇

2015年5月24日ペンテコステ礼拝

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 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

使徒言行録2の1−13


 ペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えました。皆様の上に聖霊の賜物が豊かに与えられるよう祈ります。
本日はペンテコステの出来事が具体的に記されているおなじみの箇所をお読みしました。何回もお読みになって、この箇所の内容を知りぬいている人も少なくないでしょう。
「五旬祭の日が来て」と、その出来事が起こったのは過越の祭から50日目のユダヤ教でいう「七週の祭」の日であったと言われています。私たちの言い方ではイースターの日から50日目の日ということになります。その日、弟子たち一同が一つになって集まっていました。恐らく1章14節から考えて、彼らはその日も集まって祈っていたのだと思います。
 すると、突然激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、次に炎のような舌が一人一人の上に降りました。風という語は「霊」という意味もあります。また舌という語は「言葉」また「異言」というような意味もあります。
4節そうすると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままにほかの国の言葉で話し始めた、というのです。そして5節以降には「ほかの国」というのは当時の世界中から帰国したユダヤ人がそれぞれ自分がかって移住していた国々のことで、彼らはその国の言葉で弟子たちが語るのを聞いて非常に驚き不思議に思った、というのです。
 確かに考えられないような不思議な現象です。私たちもここを読むとこの出来事を自分たちの身に引き寄せて考え、信じられないような思いになるのです。語学の勉強もしていないのにそんなに簡単に外国語が話せるものなのだろうかと。
 しかし、今回私の心に強く響いたのは「霊が語らせるままに」という4節の言葉でした。勿論語っているのは弟子たちです。しかし、その弟子たちは霊が語らせるままに語ったのです。ですから彼らの語った言葉は彼ら自身が語ろうと思った言葉ではなく、霊が語らせた言葉であります。語っているのは、ですから、聖霊なのです。聖霊が弟子たちを通して語っているのです。それ故にこそ、その言葉はどの国から来た人でも、自分の国の言葉として理解することができたのではないでしょうか。
 では、彼らは一体何を語ったのでしょうか。11節を見ると「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っている」とあります。彼らは神の偉大な救いの業を語ったのです。イエス・キリストの十字架と復活によって実現された神の救いの御業を語ったのです。キリストの十字架の贖いと復活の命を証ししたのです。聖霊がその語るべき言葉を語らせて下さったのです。
 だからイエス様は1章4.5節で弟子たちにこう言われました。「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい。あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」。そして1章8節では「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と約束されました。
 聖霊を抜きにして私たちは語ることも証人になることも、できません。Tコリント12章3節には「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」とあります。主イエスを主と信じ告白することも聖霊の働きなしにはできない、とすると聖霊の働きなくしてどうして他人に証ししたり、伝道したりできるでしょうか。
ヨハネ福音書16章13節で主イエスは聖霊のことを真理の霊と呼ばれ「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と言われました。この「真理」とは「神の偉大な業」に関する真理です。弟子たちは真理の霊である聖霊によって神の偉大なる救いのみ業の真理を悟らされたのです。だから、それを確信をもって力強く語ることができたのです。
 それだけではありません。聖霊が私たちに降るということは先程の使徒言行録1章5節で主イエスがおっしゃったように聖霊のバプテスマを授けられるということです。バプテスマを受けるということは生まれかわる。古い自分は死んで新しい命に生きるということです。ローマ書8章14節には「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」とあります。「この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(ローマ8の15)聖霊が宿ることによって、私たちは神の子とされ、神に親しくアッバ父よ、と呼びかけることのできる者として頂けるというのです。何とすばらしいことでしょうか。ぜひ聖霊を受け、弟子たちのように神の救いの御業を証しする者とされたいと思います。ヨハネ福音書16章23,24節には「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」というキリストの約束が記されています。このみ言葉を信じ、「聖霊を与え給え」と祈りたいと思います。

文:木下宣世牧師
西千葉教会花壇

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