西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「受胎告知」◇

2015年12月6日(アドヴェント第二主日)

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 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

ルカによる福音書1章26〜38節


 アドヴェントの第二主日を迎えました。今年は来る20日にクリスマス特別礼拝を守らんとしています。もう真近と言ってよいと思います。そこで今日はいわゆる受胎告知の場面として知られている箇所からみ言葉を頂きたいと思います。
 天使ガブリエルがナザレの町のマリアのところに現れた時、ガブリエルはマリアに「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」と言いました。「おめでとう」とは「喜びなさい」という意味だそうです。
 しかし、マリアは「おめでとう」と言われても何がおめでたいのか、また「喜びなさい」と言われても何を喜んだらいいのか、かいもく見当がつきませんでした。かえって今まで見たこともない天使が急に目の前に現れ、自分に何かを告げようとしていることに不安と恐れを感ずるばかりでした。
 そのマリアにガブリエルはいわゆる受胎告知をしたのです。しかし、受胎告知と言っても単に赤ちゃんが胎内に与えられました、というだけではありませんでした。その赤ちゃんがどのような子なのかが告げられたのです。
 その第一は、その子は「いと高き方の子」と呼ばれるということです。即ち「神の子」ということです。第二は「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」ということでした。これはどういうことかと言うと、この方は旧約聖書が預言し、イスラエルの人々が待望していた「メシヤ」即ち救い主であられるということです。(イザヤ書9章5,6節参照)つまりガブリエルはマリアにあなたの胎内に宿った子は神の子、メシヤですと告げたことになります。この言葉を聞いてマリアは余計恐れおののいたことでしょう。どうして自分のような者からそのような方が生まれるはずがあろうか。第一自分はまだ「男の人を知りませんのに」、そうつぶやいたのです。
 それに対してガブリエルは、その方がどのようにしてマリアに宿ったのかについて説明します。それは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」という答えでした。あなたの胎内の子は聖霊によって神の力が働いて宿されたのだということです。「包む」というのは雲におおわれるという意味の言葉です。それは出エジプトの際イスラエルの民がしばしば目にした光景で神の臨在を示す時の様子です。つまりマリアの受胎は神さまが直接お働きになって実現したことなのだというわけです。
 従ってこの子は聖なる神の御子なのだということが再び語られたということになります。
そのことを証明するために、年をとって子どもを生めない年齢になっていた親類エリザベトも不妊の女と言われていたのに男の子を身ごもって6ヶ月になっているということが伝えられ、「神にできないことは何一つない」と語られるのです。
 この言葉は原語に忠実に訳すと「神がお語りになった言葉で実現しないものはない」ということになるそうです。次の有名なマリアの「お言葉通りこの身になりますように」の「お言葉」は「神がお語りになった言葉」を受けて語られたわけです。
「神にできないことは何一つない」という言葉は一般には「神は全能である」と受け取られています。だから男の人を知らないマリアにも子どもが宿って不思議ではないということになります。それは間違いではありませんが、むしろこの言葉は神がお語りになった言葉、即ち神の御計画は必ず実現するのだ、と理解した方がよいと思われます。
 マリアはガブリエルの告知によって神さまの御計画を知り、理解しました。そこで「私は主のはしためです。神さまの御計画がこの身において実現しますように」と答えたのです。
 「受胎告知」と呼ばれるこの出来事は単にマリアが妊娠したことを告げたということではなく、マリアに神さまの御計画の内容が知らされたという意味が含まれているということです。
 それに対するマリアのこの答えは1つの信仰告白だと思います。自分の身から生まれる子は神の子、メシヤです、という信仰告白です。これはルカ福音書全体を見渡してもペトロやあの十字架の主を見上げて「この人は本当に正しい人であった」と告白した百人隊長と並んで有力なキリスト告白の1つと言うべきです。
 もう1つ、マリアがこのように答えることができた理由は彼女の「わたしは主のはしためです」という自己理解があったからだと思います。
 この答えは大変な犠牲と危険を伴うものでした。婚約者ヨセフの誤解、罪深い女と見なされる災い、石打の刑に会う可能性等マリアはこれらのすべてを身に引き受けて神さまの御心に服従しました。それは自分が神さまのはしため、つまり神さまのものであると信じていたからです。その自分を神さまが選び、その御計画実現のために用いて下さる。そのことに賭けたからです。これは人類の救いがかかった決断でした。
 初めにガブリエルが掛けた「おめでとう」即ち「喜びなさい」は神のご用に身をささげる者の幸い、その決断への言葉だったのではないでしょうか。「恵まれた方、主があなたと共におられる」も同じだと思います。
 「私たちもマリアになれる」と言った人がいるそうです。
私たちは何を喜びとしているのでしょうか。この世における成功や名誉でしょうか。それとも神さまから与えられる喜び、恵みでしょうか。
 マリアの如く、主に従う者となりたいと思います。

文:木下宣世牧師



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