西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「救いの到来」◇

2016年12月4日 待降節第2主日

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 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

イザヤ書 40章1節〜11節


 2016年も最後の月12月を迎えました。あと1ヶ月でこの年も終わろうとしています。一方教会の暦では今日は待降節第2主日。教会の暦では待降節から1年の歩みが始まりますから、新しい歩みが始まったばかりということになります。そしてクリスマスが近づいてきました。今年も良い備えをしてクリスマスに臨み、御子御降誕の恵みに豊かに与りたいと思います。
 さて、待降節第2主日にあたってイザヤ書40章1節から11節までを読ませて頂きました。クリスマスを迎えるにあたって、昔イスラエルの民が困窮の極みに陥っていた時、預言者を通して神さまから与えられた救いの到来を告げる喜ばしい知らせの言葉に耳を傾けたいと思ったからです。
 さて、いきなりイスラエルの歴史のお話になりますが、B.C.587年バビロニア帝国のネブカドネツァル王によってユダ王国は壊滅させられました。首都エルサレムは神殿もろとも炎上し、国の主立った人は捕囚となってバビロニアの国に引いていかれ、その地で屈辱の日々を送ることとなりました。有名なバビロン捕囚という出来事です。詩編137編にあるように彼らは現地の人々に屈辱的な仕打ちを受け、経済的にも困難な生活を始めなければなりませんでした。彼らは1日も早くこの状況から解放され、故郷のエルサレムに帰れるよう願ったのであります。しかし、彼らはバビロンの地で約半世紀の間生き続けなければなりませんでした。捕囚とされたイスラエルの人々にとって、政治的な屈辱や経済的な困難以上に深刻だったのは宗教的、信仰的な問題でありました。バビロニアでは多くの神々がまつられ、拝まれていました。主神マルドゥク始めベル、ネボ、シン、シャマシュ、イシュタル等々です。その中で自分たちの信じている唯一の神ヤハウェへの信頼は長く捕囚生活が続くにつれて、揺さぶられてくるのです。「神さまは私たちイスラエルの民に契約を与えてくださったではないか。いつまで我々を放置しておかれるのか。」といった神さまへの疑問やつぶやきが生じ、信仰的な危機すら感じ始めていたのです。
 そのような状態にあった捕囚の民に解放の知らせを告げる1人の預言者が現れました。この人の名前は残されていませんので仮に第2イザヤと呼ばれています。その預言者の第1声が今日のこの箇所の言葉です。
おごそかでありながら親しみがあり、厳粛でありながら柔和な感じもある、そして晴れやかな言葉です。
「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と慰めという言葉を繰り返すことによって強調しています。この慰めという言葉はこの預言者のメッセージの中心となる言葉です。ここでは何と言って慰めているのでしょうか。 1つは捕囚という苦難の時の満了です。次は神さまに対する罪の償いの完了です。そして3つ目は彼らが神さまから受けた罰は犯した罪をはるかに上まわるものであるということ、つまりもう十分だということです。
 そして3節からは彼らが長い間待ち望んでいた故郷への帰還が始まります。丁度この頃ペルシャ帝国のキュロス王が勢力を伸ばし、B.C.539年にバビロンの都を無血占領いたします。このキュロス王がバビロンに捕らわれていた民に故国への帰還を許可する勅令を下したのです。この歴史的な出来事の前に預言者は神さまがイスラエルの民を解放し彼らの先頭に立ってエルサレム目指して、堂々と行進していく幻を示すのです。その時には大自然も神さまに服従し、彼らが通る道を用意します。低い谷はもり上がり、高い山や丘は沈み、険しい道は平たんに、狭い道は広い道に拡げられて、神さまとイスラエルの民の帰還を助けるというのです。
 6節から8節まではイスラエルの捕囚民のつぶやきや疑問に答えている箇所です。即ち人間は草のように枯れ、花のようにしぼんでいく。しかし、神さまの言葉は永遠に変わらない、ということです。ユダ王国を滅ぼし、イスラエルの民を何十年も捕らわれの身としていたネブカドネツァルもバビロニア帝国も滅んでしまう。しかし神さまがイスラエルの民に与えてくださった契約、約束の言葉は不変です。現にこのようにイスラエルの民は解放されるではありませんか、と言うのです。
 そして、目的地のエルサレムに近づいてきました。高い山に登ってユダの町々の人に、エルサレムの人々に自分たちが帰ってきたことを、この喜びの知らせを声の限り、高らかに叫び伝えなさい。人々は歓呼の声をあげて喜び迎えてくれるでしょう。
 このようにして神さまは全世界の支配者とし力を振るい、威厳に満ちた姿で近づいて来られます。この神さまに導き出された捕囚の民は神さまの後になり、先になって進んでいきます。
 そのありさまは、羊飼いが羊の群れを導いて行く姿に似ている、彼は生まれたばかりの小羊を抱きながら、親羊たちを導いて歩まれます。まさに慰めとやさしさに満ちた姿で、ご自分の民を導かれる方であります。
 これが預言者が捕囚の民に告げた解放の知らせです。まさに福音(良い知らせ)ではありませんか。1. 捕囚の終了。2. 罪の赦し。3. 神の顕現と支配を告げる福音にほかなりません。
 神さまはかってエジプトの国で奴隷となっていたイスラエルの民を導き出されました。そして今、バビロニアの国で捕囚となっていたイスラエルの民を解放なさいます。その神さまは御子イエス・キリストを遣わして私たちを罪の奴隷から解放してくださるのです。今日の箇所はその前兆です。予告です。感謝してこの救いを受け入れ、喜んで救い主の到来を祝いましょう。
(写真は1964年にアメリカで発行されたクリスマス切手)

文:木下宣世牧師


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