西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「国と力と栄えとは」◇

2017年5月7日 復活節第4主日

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 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。

ローマの信徒への手紙 13章1節〜7節


 主にある 愛する兄弟姉妹の皆さん!
 ローマの信徒への手紙は12章から信仰によって義とされた者の具体的な生き方についての叙述が始まります。そして最初の内は教会内でのあり方についての教えが語られますが、17節あたりからは教会外の人々との生活についての教えが述べられ始めます。
 そして今日の箇所はその流れに沿ってこの世における、しかも異教社会におけるキリスト者のあり方について述べているところです。ですからここでパウロがいきなり国家論を論じているのではなく、具体的な税金を異教徒の支配する国に納めるべきか否か等の身近な問題に答えている箇所であります。
 とは言えここにはパウロのこの世の権力、具体的にはローマ帝国やローマ皇帝に対する考え方、そしてこの世の権力に対してどうあるべきか等の重要な意見が述べられていて、古来多くの論議を呼び起こしてきました。
 特に冒頭の「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」以下の言葉には意外な感じを受ける人が多いのではないでしょうか。むしろこれには異和感や反感をおぼえる人が少なくないと思います。なぜなら上に立つものはしばしば権力をふるって人々を圧迫し、搾取するからです。ですからむしろ逆に「人は皆、上に立つ権威に従ってはならない」と言われたほうがぴったりくるのではないかと思います。
 しかし、次の「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」という言葉には耳を傾けなければならないと思います。この言葉にも異和感をおぼえる人がいるかも知れません。これまでの歴史を見ても、否、今現在でもとても神が立てられた権威とは思えないという例は多々あるからです。
 ではそういう権威はどこから来たのでしょうか。神ではないとしたらサタンが立てたのでしょうか。あるいはその人物自身の実力や努力で権威を獲得したのでしょうか。確かにそのように見える場合があるかも知れません。そうすると、神さまの力の及ばない権威があるということになります。私たちが信じている神は全能であり、天地万物の造り主であり、歴史の支配者ではなかったでしょうか。私たちがそのように信じるならやはりパウロが言うように、すべての権威は神が立てられたと言わざるを得ません。認めざるを得ないのです。
 そうであればやはり、上に立つ権威に従うべきということをも認めなければならないと思います。
 但し、これは王権神授説とは違います。王権神授説は王様の側の言い分です。つまり、自分は神から権威を授けられたので自分の思う通りに権力を振るってよいのだという理屈です。それは自分が神になってしまっている言い方です。
 そうではなく、権威を与えられたのは、国を治めるために神さまがその権威を託して下さったということなのです。例えば「権威者はいたずらに剣を帯びているのではない」(4節)とありますが、この剣とは悪をなす者を裁き、罰する権限のことです。このような権限なしでは国を治めていくことはできません。
 しかし、託された権威や与えられた剣をどう用いるかが肝心です。この箇所には権威者は「神に仕える者」であると3回も繰り返されています。つまり神の御心がこの世でも行われるように励むということです。単純に言うと悪を制し、善を奨励するということです。その限りにおいては、キリスト者は協力するのです。
 この箇所を読んで感じるのは、パウロは権威者を全く恐れていないということです。社会の一員としてのあり方をたんたんと記しています。権威者を悪魔的なものとして見ていませんし、逆に偶像化してもいません。主イエスがカイザルに税を納めてもよいでしょうかと尋ねられたとき「カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい」と言われたように、納めるべきものは納めなさいと教えています。
 主の祈りのしめくくりにあるように「国と力と栄え」即ち 支配、権力、栄光は限りなく神のものという、神さまに対する全き信頼、そしてそこから与えられる落ち着きと自由が感じられます。この世にある信仰者の生き方を示されたように思います。

文:木下宣世牧師


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