西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「語らせ給う神」◇

2017年6月4日 聖霊降臨節第1主日

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 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

使徒言行録 2章1節〜13節


 本日は聖霊降臨日(ペンテコステ)を迎えました。皆様方の上に聖霊の恵みが豊かに降されるよう祈ります。
 さて、唯今このペンテコステの日に起こった出来事を記してある箇所をお読みしました。良く知られているところですが、改めてここから御言葉に耳を傾けたいと思います。
 まずこの出来事が起こったのは五旬祭の日であったと書かれています。50日祭ということです。いつから50日かというと過越の祭りから50日ということです。小麦の収穫を祝う祭でユダヤの3大祭りの1つでした。この50という数字がギリシャ語ではペンテコステ(第50)で、そこからこの日をペンテコステと呼ぶようになったのです。キリスト教の立場からいうと主イエスの復活日から50日目にあたる日ということになります。
 この日にキリストの弟子たちが1つになって集まっているところに聖霊が降されました。それはまず激しい風が吹いて来るような音を伴って起こりました。「風」という言葉にはギリシャ語でもヘブル語でも「霊」という意味もあります。聖霊が激しい風の音を立てて降ったのです。
 さらに、炎のような舌が1人1人の上にとどまりました。普段目に見えない霊が見える形で降されました。ですから、この時人間の五感では捕らえられない聖霊が耳で聞え、目で見える形で降された、ということであります。
 すると彼らは聖霊に満たされて、霊の語らせるままに、ほかの国の言葉で話し始めました。ほかの国の言葉とは9節10節に書かれている土地の言葉のことです。今日流に言うとイラン、イラク、トルコ、エジプト、リビア、さらにはイタリアといった国々の諸地方ということになります。
 実に不思議な出来事です。ガリラヤ出身の弟子たちがいきなり外国語を話し出したのです。考えられないことです。ですからそこにいた人々は皆非常に驚き怪しんだのは当然だと思います。
 ここを読む私たちも不思議に思います。特に日本人は一般的に外国語を苦手としていますから、うらやましいような気にすらなってしまいます。そこでこれは初代教会でよく行われたと言われている異言を語ったのではないかとか、いや彼らはいつも使っているアラム語で語ったのだけれど、それは各地から帰ってきたユダヤ人にはある程度理解できたのではなかろうかなどという解釈もなされたようであります。
 確かにどうして彼らは外国語を話せたのか興味はありますが、しかし、ここは語学の問題ではありません。彼らは霊が語らせるままに話しだしたのです。彼らの語学知識で語ったのではありません。聖霊なる神が語らせ給うたのです。何を語ったのか、神の偉大な業を語ったのです。それはイエス・キリストの福音と言いかえてもよいでしょう。
神がイエス・キリストの十字架と復活を通して私たちに救いをもたらしてくださったということです。そのことを語らせるために聖霊が降されたのです。聖霊は弟子たちに新しい言葉を語らせました。それによって彼らは人間の言葉の制限、外国語の壁を越えて語らせてくださったのです。
 先週早天祈祷会で聖霊に関する聖書箇所を読みました。そこで与えられた御言葉を思い出しました。ヨハネ福音書16章13節「しかし、その方、すなわち、真理の霊(聖霊)が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる」。その真理とは何でしょうか。Tコリント12章3節「また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」。「イエスは主なり」、これが真理の源ではないでしょうか。そのことをわからせてくださるのが聖霊です。弟子たちは聖霊に満たされました。そして主イエスが誰であるかを悟らされたのです。主イエスの十字架の意味も理解することができました。主イエスのよみがえりの命に与かることができるという確信も与えられました。神さまが主イエスを通して与えてくださる救いの真理、その大いなる御業の全てを聖霊によって悟らされました。これが新しい言葉です。この言葉は世界の各地からエルサレムに帰ってきていたユダヤ人には通じたのです。
 これは創世記11章にあるバベルの塔の物語の反対です。今世界では言葉が通じないという危機にひんしているのではないでしょうか。新しい言葉を渇望しているのではないでしょうか。そしてイエス・キリストの福音こそ新しい言葉ではないでしょうか。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。(ヨハネ福音書3章16節)この神の愛の偉大な業を証しし、宣べ伝えることこそ教会の、また私たちの使命であります。そのために私たちに聖霊が降されるよう祈りたいと思います。

文:木下宣世牧師


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