西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「キリストにある平和」◇

2017年8月13日 聖霊降臨節第11主日

「今月の説教」リストへ


 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

エフェソの信徒への手紙 2章14節〜22節


 本日は毎年恒例の平和聖日・敗戦記念特別礼拝をささげようとしております。今から72年前の8月15日、日本は無条件降伏をして戦争が終わりました。日本は焦土と化し、広島・長崎始め多くの都市が爆撃を受け、この戦争で300万人もの同胞の命が奪われたと言われています。さらに恐ろしいことに日本軍がアジアの各地で殺戮した人の数は2000万人を超えると言われます。
 このような悲惨な戦争を引き起こしたことを反省し、またその悲惨さを味わった者として二度と戦争をおこしてはならない、平和を求める国とならねばならないと決意し、平和憲法の下に今日まで歩んできました。
 しかし、最近になって私たちの国の姿勢が変わってきているように思えます。憲法を改定し、自衛隊を憲法の中に位置づけ、戦争のできる国にしていく。そのために集団的自衛権を閣議決定し、海外派兵を可能にする。またその方向に国民を従わせるために「特定秘密保護法」や共謀罪を含む「改正組織犯罪処罰法」などを次々と成立させてきました。非常に危険な方向に向かっているのではないかと危惧されます。
 恐らくこのような変化は国際情勢、特に米国との関係が影響していると思います。先週は米国のトランプ大統領と北朝鮮の金ジョンウン委員長との間で核攻撃を巡っての恫喝合戦が行われ、広島や長崎の原爆記念日を迎えて核の恐ろしさに思いを深めていた私たちは驚いたり、あきれたり、そしてぞっとするような恐ろしさを感じさせられました。北朝鮮のミサイル発射能力もそこまで進んできたということでしょう。中国の台頭にも米国は神経をとがらせているようです。ロシアとの関係もよくありません。
 アジアだけではありません。中近東・アフリカ・中南米・そしてヨーロッパにまで紛争、抗争、戦乱のタネは尽きないのです。
 どうしてなのか?国(国家)は本来的に自己中心的です。常に国益を考えます。拡張的な傾向性を内包しています。小さな1つの島であっても決して譲ろうとはしません。
 民族もまた自己中心的です。我が民族の優秀性・純粋性を誇り、他の民族との交わりを拒絶します。ナチスドイツはアーリア民族の優秀性を誇り、日本人も日本民族であることを誇りました。多民族国家である米国ではこれまでアングロサクソン人が重んじられ、逆に黒人差別がありました。ユダヤ人も選民意識を持ち、他国人を異邦人と呼び軽んじたのです。
 これが国や民族の性質ですから、本当の平和を来たらせるのは難しい。理性や倫理・道徳だけでは不可能です。もし、可能であるならもうとっくに平和はきているはずです。
 ではどうしたらよいのでしょうか?最近1つのヒントになる記事を読みました。去る7月13日に中国の作家で民主活動家の劉暁波氏が瀋陽市の病院で亡くなられました。彼は天安門事件以来ずっと中国の民主化のために戦ってきた人です。そのため再三捕えられ拘束されてきました。その活動が認められて2010年にノーベル平和賞を受けたのですが、政府は授賞式に出席させなかったのです。そこで彼の送った文章が代読されました。その中で「私には敵はいない。憎しみもない。」と書かれた言葉が人々の心を捕えたのです。政府の迫害や妨害を受けながら、「敵はいない憎しみもない」と本心から言えるのはすごいことだと思います。
 実は彼は洗礼は受けていませんが、家の教会にも行ったことがあり沢山のキリスト教書を読んでいました。その中で獄中でボンヘッファーの本に励まされ、奥様にこう手紙に書いてきたのです。「もし希望がないならば苦しみの中から意義を見出せない。希望を理解できなければ人間の存在を理解できない。生きる勇気は希望のみが与えることができ、希望は神と愛とイエスの十字架から来るのだ」。
 この言葉は今日の聖書の御言葉を指し示していると思います。即ち、真の平和はイエスの十字架からくる、ということです。この箇所は世界平和について論じているところではありません。そうではなくて教会形成のことを言っているのです。エフェソの教会にはユダヤ人もいましたし、それ以外の国の人もいました。そうすると教会内の一致は難しくなります。しかし、キリストの十字架が2つのものを1つにしてくれました。ユダヤ人にとってかつて神殿には異邦人が入るのを拒む壁がありましたが、彼らの心の中からその壁を取り除くのは難しかったのです。しかし、キリストの十字架によってユダヤ人も異邦人も皆神と和解し、神との平和を与えられました。彼らは皆神の子とされたのです。ですから神の前にはユダヤ人も異邦人もない、皆キリストに連なる枝々です。そこに一致が与えられ、エフェソの教会が形成されたのです。だから20節以降に建築の話が出てくるのです。
 私は世界に真の平和が来るのは全世界が教会になる時だとこの箇所を読んで思わされました。荒唐無稽なことを言っているように思われるかも知れません。しかし、キリストは世界の王、歴史の主と言うではありませんか。(コロサイ1:15〜18) 全世界が教会となった時、キリストは教会の頭ですから、全世界の頭(主)となるのです。全世界がキリストの十字架により罪の奴隷から解放され、真の自由に生きることができる。キリストに連なる枝として豊かな実を結ぶことができるのです。
 「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」。(ヨハネ3:16)神さまはキリストをクリスチャンだけに与えて下さったのではありません。この世、この世界を愛し、この世界を愛される故にキリストを与えて下さったのです。真の平和はこのキリストを通して示された神の愛によって実現するのです。
 そこに伝道する根拠と理由があります。私たちは平和のために祈り、キリストの十字架を証しし、キリストを賜った神の愛のもとに人々をお招きするのです。

文:木下宣世牧師


TOP
mail:nishichiba@church.jp
Copyright (c) NISHICHIBA CHURCH. All Rights Reserved.