西千葉教会 日本キリスト教団 西千葉教会


◇「死の彼方に至る希望」◇

2017年11月5日 降誕前第8主日

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 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

ローマの信徒への手紙 8章26節〜30節


 本日は2017年度の永眠者記念礼拝を多くの御遺族の方々をお迎えして行うことができ感謝致します。御遺族の皆様お一人びとりの上に神さまからの慰めが豊かにあるように祈ります。特に過ぐる一年の間に召されていった方々の御遺族におかれましては、今もなお悲しみが深いことと思います。神さまの特別なかえりみといやしがあるよう祈ります。
 さて、肉親を始め、この地上において親しい交わりをもっていた方の死に際して、私たちが受ける悲しみ、寂しさ、悔い、絶望或いは怒り等々諸々の感情から私たちをいやし、慰め、希望を与えてくれるものは何か。それは私たちキリスト者にとっては主イエス・キリストの復活以外にはないのです。キリストは十字架にかかり、私たちのために贖いの死を遂げて下さいましたが、三日目に死者の中からよみがえらされ、40日にわたって弟子たちにその姿を現されました。
 聖書はキリストとその復活を信じる者には、その人にもキリストの復活の命が与えられると約束しています。その命はこの地上に於ける生物学的な命ではなく神との交わりに生きる永遠の命であり、その命を与えられて私たちは神の国を継ぐ者とされるということです。
 ですから私はこの日の礼拝において毎年復活ということを聖書を通して語ってまいりました。御遺族の方々に慰めを語ろうとするとき、これ以外に語るべきことがないからであります。
 そこで本日も尽きるところはこれまでと同じことですが、少し別な角度から私たちに与えられる慰めについてお話し申し上げようと思います。昨年あたりから私は、自分が説教する時はずっと、今日読んだ「ローマの信徒への手紙」を読み進めてまいりました。もうそろそろ終わりに近づいているのですが、今日読んだ箇所から自分なりに教えられることがありまして、そのことについてお話ししたいと思います。
 今日の箇所には「将来の栄光」という小見出しが出ています。この段落の内容をひとことで表しているわけですが、この将来というのは漠然とした未来のことではなくて終末の時を指しているのです。
 聖書という書物は大きく捉えますと神さまの救いの歴史が書かれたものであると言うことができます。神さまの救いの計画があって、その計画がどのように実現してきたのか、そしてこれからさらにどのようにして実現して行くのかということです。天地創造から始まって終末・再臨に至る歴史です。
 その際中心になるのはやはりイエス・キリストです。このキリストを通して人間の救いが実現したからです。特にキリストの十字架と先ほど述べた復活が最も大切な事柄です。 そこで、このキリストの十字架と復活までの歴史については非常に詳しく記され分量も多いのですが、それから先のことについてはあまり詳しくないのです。将来のことだからどうしても短くなるわけです。
 今日の箇所はその将来のことについて、救いの計画がどのように完成するのかということについて述べているところです。
 まず神さまの救いは人間の救いだけではなく、被造物全体に及ぶということが語られます。天地万物を創造された神さまは、その全てを救いに導かれるということです。現在被造物は虚無に服しており、滅びに至らんとしている。だから被造物はそのような状態から解放され、栄光に輝く日を待ち望んで、うめき、苦しんでいる。被造物が救われるのはいつかというと神の子たちが出現するときで、その日を切に待ち望んでいるのです。神の子の出現する時とは、人間が完全に救われる時のことであります。
 次に人間の救いが完成する日のことが語られます。「霊の初穂をいただいているわたしたち」とは、洗礼を受け既に救いの約束を与えられている人、つまりキリスト者のことです。しかし彼らもまだ救いは完成していません。神の子とされること、即ち体が贖われることを待ち望んでうめいている状態です。体が贖われることというのは私たちの体が完全に罪から解放され全く聖化されるということです。その日を希望をもって待ち望んでいるのです。
 その私たちのために執り成しをして下さるのが聖霊です。聖霊も私たちの救いのためにうめきをもって神に執り成して下さるのです。
 その執り成しによって神さまは御自分の計画を実現させ、完成させて下さるというのが有名な28節の意味であります。
 そのようにして最終的には29節にあるように御自分が前もって知っておられる者、つまりキリスト者たちをキリストに似た姿に変えて下さるのです。これが体の贖われた状態のことです。全く聖化された状態です。そしてそれは御子キリストが多くの兄弟の中で長子となるためだというのです。
 私はこの言葉を読んだ時、本当に驚きました。自分がキリストに似た姿にして頂ける時が来るというのですから。これは初めに人間が創造された時、神は人間を御自分に似せて造られたという事と関係があります。本来私たちは神の似姿に造られたのです。それがアダムとエバの犯した罪の故に失われてしまいました。その失われた神の似姿の回復です。当然復活が前提されています。
 こういうようにして神の国が実現します。神の家族が造られます。父なる神・長子キリストそしてその弟妹たちです。全ての被造物も虚無を脱却し、栄光に輝く自由を与えられます。30節にあるように神さまは人間を救いに招き、信じる者を義とし罪を赦し、さらにその者の体まで贖い栄光に輝くものとして下さる。これが私たちに将来与えられる栄光です。
 私たちが思ってもみない恵みではないでしょうか。この世における私たちの生活は様々な苦しみや悲しみで満ちています。その中で私たちはうめき苦しみ、また罪を犯してしまう者です。しかし、私たちには大きな希望が与えられています。神の救いが完成し、栄光に化せられる希望。これが私たちの慰めとなるのではないでしょうか。
 私たちの救いを完成に導かれる神さまのかえりみが豊かにあるように祈ります。

文:木下宣世牧師


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