愛さこい物語 <アクア 終編>
 

(卯階堂)
この部屋に入るのは何年ぶりだろうか。
部屋の奥中央に位置する机の上に、一冊の古い日記があるのを確認する。
近づいてみると、その本には誰かが触れた形跡が見て取れた。
1ページ、そして、2ページ目をめくった。

『変えてみせる。君も望んでいた世界に。 ―――

「君も望んでいた世界・・・か」
いつから私の想いは、「君も」から「俺の」に変わったのだろうか。
自然開発の研究に没頭していた日々。その傍(かたわ)らにはいつも君がいた。
いつも私を励まし、そして応援してくれていた。悲しい時には抱きしめてくれた。
あの日、君と花の咲き乱れる野原を駆け回ったことは、今でも忘れることは無い。
君の存在が生きがいだった。それがすべてだった。
だが、あの日、私はすべてを失ったのだ。
偶然、開発した俺のラビエネルギー欲しさに、人間どもは俺を裏切り、そしてすべてを奪っていったのだ。
瓦礫(がれき)の中で君を発見したときには、悲しみで心が張り裂けそうになった。
けれど、私には悲しんでいる時間も無かった。
追っ手から必死の思いで逃げ延(の)び、そしてこの地へ辿(たど)り着いた。
私はその時、強く決意したのだ。
私からすべてを奪った人間どもに必ず復讐(ふくしゅう)してやる。そしていつかきっと、俺がお前達を支配してやる!
それがアクアの始まりだった。

――― もうこの世にはいない君へ』
君が生きていたら、きっとどんなに悲しむことだろう。けれど、それももう潰(つい)える。今日でアクアは終わるのだ。
ゆっくりと本を閉じようとしたその時、俺の目の端に、なにか文字のようなものが日記の終わりに書かれているのに気がついた。
『ステキな世界の、はじまりはじまりぴょん!』
俺が書いたものじゃない・・・・・・あの愛さか。
俺は苦笑した。ステキな世界。これのどこがステキな世界なのだ。
大地は枯れ果て、海は荒れ、自然が生き物すべてに牙をむく。
その元凶が人間だ。
すべて無くなればいい。お前らなんか、すべて消え去ってしまえばいい。
けれど・・・この愛さになら・・・
俺は静かに本を閉じ、床に腰を下ろした。すると、ドアの向こうから一人の人影が静かにこちらに向かってくるのが見えた。
「お前か・・・」
目の前に現れた愛さは、静かに俺の前へと歩み寄った。
「ここもじきに爆発する。お前はここから脱出しろ」
俺は目の前の愛さに命令した。けれど、一向にその愛さは動こうとはしなかった。
「あなたを残しては行けません。私も最後までご一緒させてください」
そう言うと、私の隣に座り、ただ清澄(せいちょう)な眼差(まなざ)しで地面を見つめていた。
「逃げろ。お前は生き残れ。俺となんかとは一緒に死ぬな」
「嫌です」
その愛さは、俺の方へとキリっと振り向き、強い口調でそう言った。
「似ているな」
「えっ・・・」
「亡くした妻に」
静寂があたりを包み込んだ。
『残り、20分』
隣にあった自爆装置の機械音声が、その静寂を打ち破った。
残り、二十分の命。
俺は、胸から流れる血を手で押さえ、その血に染まった手を見つめていた。
俺はまだ、生きている・・・だが、もう俺には生きる資格は無い。たくさんの生き物を傷つけ、そして、また今度も、俺の傍らにいるこの愛ささえも救えないのだから・・・。
天井を見上げ、ふと、亡くした君のことを想い描いていた。
涙が静かに、頬へと伝わった。


(めう)
「もう少しで出口ですっ」
たるとちゃんの案内で、私達は出口まで向かっていた。
いろいろあったけれど、みんな無事でいてくれた。私の心は、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
目の前にある大きな扉から零(こぼ)れた光が、次第に私達を明るく照らす。
「もうすぐ出口ねっ」
りうちゃんの声に私は顔を向けた。そこには、りうちゃんのやさしさと温かさの溢れる笑みがあった。
自然と笑みがこぼれた。辛いことも悲しいことも、たくさんあったのに。それを乗り越えてきたのだ。そう、ここにいるみんなと一緒に。
「みうちゃんっ、もうすぐ出口よ」
私とりうちゃんに両肩を支えられながら歩いているみうちゃんに声をかけた。光に照らされているその横顔は、どろんこで所々黒くなっていた。
「そういえば、卯階堂さんは、どうしたのぴょん?」
「えっ・・・」
その問いに、私とりうちゃんは顔を見合わせた。まさか、そんな質問をされるなんて考えてもみなかったのだから。
「それよりも早くここから脱出した方がいいわ。爆発するのよっ」
りうちゃんの声にも、なんだか上(うわ)の空のみうちゃん。
すると、みうちゃんは突然その場で立ち止まってしまったのだ。
「だめぴょんっ!」
そう言うと、私達の腕を振り払ってもと来た道へと走り出してしまった。
「みうっ!!!」
私達はすぐに後を追いかけた。
「どうしたのですかっ!?」
「ごめんなさいっ、後ですぐに追いつくからっ・・・先に外で待ってて!」
そうたるとちゃんに告げた後、私達はみうちゃんの後を追った。
みうちゃんは迷うこともなく、ひたすら、とある場所を目指して走ってゆく。
「みうちゃん待ってっ!どこに向かってるのっ!?」
「絶対にあそこに居るのぴょんっ!!!」
早くみうちゃんをここから脱出させないと・・・っ!
みうちゃんは、上へ上へと向かって走ってゆく。駆け足の速いみうちゃんに辿り着くのは容易ではなかった。途中、過ぎ去ってゆく景色の所々には罅(ひび)が入り、砂埃が舞い落ちていた。
そして、やっとの思いでみうちゃんに追いついたその場所は、アクアの屋上にある、とある部屋の扉。
『残り、10分』
もうここまで来てしまったのだから、今さらみうちゃんを強引に引き返すわけにはいかなかった。
「ここに居るのぴょんっ・・・」
私達は、目の前にある、その少しだけ開きかけになっている小さな扉を、――― ゆっくりと開けた。


(りう)
扉を開けると、そこにはみうの言った通り、卯階堂が部屋の奥にある机に寄りかかるようにして座っていた。卯階堂の上半身には、肩から腕の脇へと大きく包帯が巻いてある。きっと、瑛緋さんの矢傷の手当てをしたのだろう。その手当てをしたと思われるあの時ガラス越しにちらっとだけ姿の見えた愛さが、その隣に寄り添うようにして座っていた。
みうは本棚に囲まれた通路を一歩一歩、卯階堂の方へと近づいていく。
「こんな時に・・・何をしに来た」
私が思っていたことを、卯階堂がみうに言った。
「お仕置きしに来たのぴょんっ!」
えっ・・・お仕置き・・・?
「愛さこい村のことか・・・残念だが、もう何も出来そうにない」
卯階堂はくすくすと笑う。
私はその動作で、もう卯階堂の命は消えつつあるということを感じ、みうに近づいて言った。
「みうっ、もうここから出ましょ!時間がないわっ」
けれど、みうは一向にこの場から離れようとはしなかった。私には、いったいみうが何を考えているのか、分からなかった。
「もう、あんなことしちゃ駄目ぴょん!」
みうのそのうしろ姿はとても小さく、けれどそこからは何か強い意志を感じた。
「幸せになれ」
その卯階堂の突然の言葉に、その場にいた私達は皆、声を失った。まさか、卯階堂がこんなことを言うなんて・・・。
けれどそんな私達をよそに、みうは卯階堂の目の前まで歩み寄ると、目線を卯階堂の位置まで落とし、そして首を少し傾(かし)げながらこう言ったのだ。
「じゃぁ、一緒に愛さこい村に来るのぴょん」
その時、はじめてみうの気持ちが分かったような気がした。
そう、みうはきっと、はじめから卯階堂を倒すつもりなんて全くと言っていいほど無かったのだ。
「俺が行ったところで、お前達の恨みを買うだけだ・・・。それよりも、こいつを・・・」
そう言って、卯階堂はその隣に居た愛さに手を添えた。
「みんな一緒ぴょんっ!」
そう言うと、みうは卯階堂とその隣に居た愛さ、その両方の腕をつかもうとした。しかし、それを横に居た愛さが制止させる。
卯階堂に巻かれた包帯からは、じわじわと血がにじみ出てきていた。
「いい愛さだな・・・めう」
「あたりまえでしょ」
そう言うと、めうちゃんはにっこりと可愛らしい笑顔になってこう言ったのだ。
「なんてったって、私の子供なんだから」
え・・・今なんて言ったのめうちゃんっ!!!
「やっぱりな・・・見たことのない愛さだったから、変だとは思っていたんだ・・・」
私の視線は、めうちゃんとみうの顔を行ったり来たりしていた。その様子を見て、めうちゃんはくすくすと笑っている。
・・・いったい・・・どうなっているの・・・?
やがて、めうちゃんは卯階堂に近づくと静かにこう言った。
「もう安心して。私達は大丈夫ですから」
「そうか・・・」
その時だった。卯階堂の瞼(まぶた)が静かに閉じていった。
アクアの最高責任者、卯階堂が今、その命に幕を降ろしたのだ。
眠りについた顔は、どこか笑顔の満ちたようなやさしい表情をしていた。その顔のすぐ傍(かたわ)らに、机の上に、そっとそれは添えてあった。あの、花の咲き乱れる野原で駆け回っていた女性の人と卯階堂とが、笑顔で映っている写真。
『残り5分』
アクアが今、静かにその終わりを告げた。



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