10/3(さくら)
この子と初めて出逢ったのは、秋風漂(ただよ)うちょうど今頃の季節。
廊下を走っていたこの子に対して、私は転ばないように注意をした。
しかし、この子は無邪気な笑顔でそのまま走り去ると、その先に待つ母親の右手をぎゅっとその小さな両手で握(にぎ)り締(し)め、遥(はる)かへと消えてしまった・・・
――― あの時の笑顔が、私には、忘れられないのだ。
10/5(めう)
みうちゃんの様子が、近頃ちょっとおかしいの。
元気になったかと思うとすぐにしょんぼりしちゃったり、何か一大決心をしたのかと思うとすぐにうじうじしてしまったり。
何か悩み事があるのかもしれない。
私は机の上に突っ伏(つっぷ)して座り込んでいるみうちゃんに尋(たず)ねてみることにした。
「みうちゃん。何か、悩み事?」
けれど、みうちゃんは、「んぴょん・・・」という返事だけを返すのが精一杯といった感じ。
私はみうちゃんの気持ちが少しでも安らいでくれればと思い、人参スープを作ることにした。
台所に向かい、人参を手際よく切っていく。慣れたものよv
そして、それをあらかじめ作っておいたお出し(野菜や海藻(かいそう)などで煮出した汁)に入れて、さらに他にもいろいろな野菜などを加え、煮込んで味付けをして完成。自慢の一品なのv
私は出来上がった人参スープをコップの中に入れて、それを机の上に伏(ふ)しているみうちゃんの頭のすぐ横に置いた。
これでみうちゃんが少しでも元気になってくれればいいのだけれど・・・。
その時である。今まで元気無く机の上に垂(た)れていたみうちゃんの耳が、ゆっくりと浮き上がってきたのである。
私はその耳をつかんで、みうちゃんの方へと人参スープの匂いが行くように、ぱたぱたと扇(あお)いだ。
「人参スープぴょんっ!!!」
「ふふふっ」
みうちゃんの反応に、つい私も笑顔になってしまうのである。やっぱり、みうちゃんには笑顔が一番なのである。
私はみうちゃんが人参スープを飲み干すのを待ち、ごちそうさまをしてからみうちゃんの呼吸が整うのを待って、質問をすることにした。
「ねぇ、みうちゃん。何か、悩んでいることがあるんじゃないの?」
一瞬、みうちゃんの顔が曇った。けれど、「実は・・・」という言葉をきっかけに、心の内を私に話してくれたのである。
「ゆうさんと会いたいのぴょん」
「え・・・ゆうさん? ゆうさんなら、アスラエルのいる島にいるわよ」
みうちゃんの今まで悩んでいたこととは、どうやらゆうさんが原因だったようだ。けれど、みうちゃんにまだすっきりした様子は無い。
「逢いたいんじゃないの?」
「逢いたいのぴょん!!!だけど・・・」
俯(うつむ)いた瞳が私の方へと向けられる。とてもかよわく、不安そうな瞳で。
「愛さこい村大運動会って、いつから始まるのぴょん?」
え・・・。
次の瞬間、私はつい笑ってしまっていた。けれど、それでもみうちゃんにとっては大変な悩み事だったのかもしれない。
「大丈夫。みうちゃんが帰ってくるまで、愛さこい村大運動会、待っててあげるから」
「んぴょんぴょんっ!!!」
元気を取り戻したみうちゃん。
その時である。「ただいまーっ」という声と同時に家の扉がゆっくりと開く。りうちゃんが水汲(みずく)みから帰ってきたのである。
「どうしたのよ。みう、元気になっちゃって」
私は笑いを堪(こら)えきれず、りうちゃんに今までの経緯(いきさつ)を話すことにしたのだった。
「実はね・・・」
その後しばらくの間、この愛さこい村のとある片隅で起こった小さな笑いは治(おさ)まることなく、私達を包み込んでいたのだった。
10/6(りう)
次の日。
愛さこい村大運動会の準備のお仕事をめうちゃんや聖美さん、それからたるとちゃんに任せて、私達はアスラエルの住んでいる島へと舟で移動することになった。
「そんなに人参持ってきてどうするんだよ・・・」
舟には、私とみう、それから優希君と瑛緋さんというメンバーが乗っている。
「たくさん持っていくのぴょんっ!」
みうは行く前から元気いっぱいで、舟の上で飛び跳ねたり海の中を覗き込んでみたりと、おおはしゃぎである。
「ふ・舟が揺(ゆ)れるだろっ・・・おおっ・・と」
「男の子なのに、頼りないわね」
「ほらほらそこ、喧嘩しない」
一発即発の事態に備えて、きっと瑛緋さんまで同行することになったんだと思う。でも、なんで優希君まで私達と一緒に来ることになったんだろう・・・。
そんな疑問を考えていたその刹那、突然めうちゃんの顔が私の脳裏を横切ったのである。
その時、私の途切れ途切れになっていた知識の一つ一つが、一つの線となって繋がってゆくのを感じた。
考えてもみれば、今回のこのメンバーを決めたのはめうちゃんである。それに、この前のお届け物の件だって私と優希君というメンバーもめうちゃんが決めた。何か大きな出来事があると、必ずそこにはめうちゃんが・・・。
・・・めうちゃん。恐るべし。
舟はゆっくりと、目の前に浮かぶ荒れ果てた島へと私達を運(はこ)んで行く。もう秋だというのに、暖かさを含(ふく)んだ風が私達を吹き抜けてゆくのだった。
10/6(優希)
めうちゃんに聞かされてはいたものの、こんなにも荒れ果てているとは思ってもいなかった。
「すごいな・・・岩と砂しかないぞ。 それに海だってこんな・・・」
そこは、生き物がとても住めるような場所では無かった。海は黒く濁(にご)り、大地は枯れ果てている。
「あっ!エルちゃんっ!」
ぴんくが叫んだその先には、俺達と同じ愛さが数匹出迎えてくれていた。
「いらっしゃい」
そう返事をした愛さの方へと突然ぴんくが走り出した。返事をした愛さは両腕を広げて向かってくるぴんくを受け止める体制をとっている。
しかし、ぴんくはその愛さの横を素通りして、その後(うし)ろにいる人間へとダイブした。
「ゆうさんっ!」
ぴんくは思いっきりゆうさんに抱きついて、その後しばらくは離れそうもない様子。
それを他所に、りうは俺達にアスラエルという愛さを紹介してくれた。あの返事をしてぴんくに横を素通りされた勘違い愛さだった。
「はじめまして。俺は優希、そしてこっちが―――」
「瑛緋です」
アスラエルという愛さは感じの良さそうな愛さだった。髪の毛と瞳の色が黄色で、その容姿はどことなくめうちゃんを思い浮かばせるものがある。
「はじめまして、アスラエルです。今日はもう遅いから俺達のテントでみんなでお祭りでもしよう」
お祭りって・・・。
アスラエルという愛さは、外見だけではなく、性格までめうちゃんに似ているのかもしれない。
辺りも次第に暗くなる中、俺達は大きなごつごつとした岩を避けるようにしてテントへと向かったのだった。
10/6(優希)
アスラエルに案内されて着いた場所は、テントというよりむしろ砂の混じった風避(かぜよ)けのためだけにつくられたような岩の隙間に造られた居住空間だった。
「慣れれば快適だよ」
そう言うと、アスラエルはあらかじめ用意されていた鍋になにやら野菜や海草等の食べ物を入れて煮込みはじめている。
俺は辺りを見回した。岩に囲まれたこの空間は、食事をするための炎と、その周りにあるロウソクらしきものだけが明かりの役割をしていて、ほとんど薄暗く、そして少し肌寒い。
「こんなところで、何をやっているんですか?」
俺はその言葉を発したとき、しまったと思った。
けれど、アスラエルは気にせず笑顔でこう答えたのだった。
「この島を、何とかして元ある姿、自然そのままの姿に戻したいんだ」
正直、その言葉を聞いたとき、俺は無理だと思った。周りは岩と砂しか無く、風だって砂が混じっているし、海も黒く濁っている。
そんな俺を察したのか、アスラエルは出来上がった食事をお椀(わん)によそいながら、笑顔で答えた。
「明日、案内するよ。この島も少しずつだけど、変わりつつあるんだ」
その瞳の奥に光る輝きは、まるで無邪気な子供のように思えた。けれど、逆に俺にとってそれは、羨(うらや)ましくも思えたのだった。
10/6(りう)
私達は男の子達とは別の、女の子達の住む場所へと案内されて、さっそく食事をいただくこととなった。
出来上がった鍋を順番に愛さの女の子達が自分のお皿へとよそってゆく。
私の隣の子がお皿へとよそい終わったので次は私の番と思い、私は鍋に添えてあったおたまを鍋の中へと差し入れた。
その時である。
ごつっ・・・
私は鍋にとてつもなく大きな得体の知れない食材が入ってると思い、もう一度、突っついてみることにした。
・・・ごつっ。
何かある。
私は周りを見回した。けれど、周りの女の子達は、私の様子に全く気づいていないようである。けれど一匹だけ、私の様子に気づいた愛さがいた。
「・・・みうでしょ、入れたの」
「んぴょっ!?」
私はおたまで、そのごつっとした物を鍋の中から取り出してみる。
するとそこには丸々と太った人参さんがこんにちわと言わんばかりに姿を現したのだ。
「出来てるのぴょん!?」
その声に、まわりにいた愛さ達はその不気味な人参の存在に気が付いて、視線がその一点に集中した。
私はその人参にお箸(はし)をゆっくりと突き刺してみる。
「・・・出来てるわね」
「ちょうだいぴょんっちょうだいぴょんっ!」
当然、みうはその出来立てほやほやの人参さんに直接手で触(さわ)ろうとして・・・
「あついぴょっ!!!」
いつの間にか、私達の周りには笑いと笑顔が包み込んでいたのだった。
10/7(優希)
この島は黒い海に覆われていて、その島のほとんどが砂漠である。
俺達は黒い海に面した平原へと案内された。
「ここがその場所だよ」
アスラエルの指差す先にあったのは、ただ真っ黒い色をした土地だった。
砂漠色の中にある黒はある意味異色のようにも感じたのだが、いったいこんな場所でどうやって森を創りだそうというのか。
しかし、俺はその黒い色をしているモノがいったい何なのかが気になって、近寄ってその黒い物体を指で摘んでみることにした。
「それ、なんだか解るかい?」
俺が摘んだ黒い物体は、なんだかぬるぬるしていてとても気持ちが悪い。
「腐った昆布(こんぶ)だよ」
アスラエルは笑いを抑えきれないようである。
「腐った昆布・・・こんなのを地面に撒(ま)いて、いったい何になるんですか・・・?」
その質問を待ってましたかのごとく、アスラエルは俺達を海へと案内した。
海は、風で舞った砂埃(すなぼこり)が海へと舞いちり、そのせいで海の中の視界はほぼ零(ぜろ)に近いほど黒く濁っている。
「この海にある昆布は、すべて腐っているんだ」
アスラエルは海面が膝(ひざ)の辺りにくるぐらいの深さまで海の中へと入っていくと、その場所から海の中にある海草を引っ張り出した。
「この土地は砂で覆(おお)われている。風には砂が混じり、そのせいで海まで濁(にご)っている」
アスラエルは昆布を持ったまま海から上がり、その昆布を俺の方へと見せる。
「海は腐り、陸はすべて砂。この場所で、君だったらどうやったら森を取り戻せると思う?」
その質問に、俺は何も答えられなかった。その答えはほぼ不可能だと言っても十分なほどに、俺の体に砂交(すなま)じりの強烈な風が今もなお冷たく吹きつけているのだから・・・。
「その答えを、ゆうさんは知っていた」
俺はその言葉を全く信じることが出来なかった。しかし、アスラエルの説明を聞けば聞くほどに、その可能性は次第に増してくる。
「俺達もはじめはたくさんの木の種を植えた。けれど、この強烈な風と根の張ることの無い砂の大地がそれをすべて払い去ってしまったんだ。それをくいとめたのが、この昆布さ」
それが、さっき見た黒い大地、もとい昆布の大地だったのだ。
「こっちへ」
アスラエルは次に、俺達を昆布の大地へと案内した。始めに見た場所よりかなり離れた海岸沿いの場所にそれはあった。
「これを見てくれ」
その指差した場所には、確かに、木の苗がこの大地に根強く、空に向かって伸びていたのだ。
「この昆布が、強い風から種を守り、大地に根を張らせた。そして・・・」
俺は目を見張った。
その昆布の大地から見えた景色は、紛(まぎ)れも無い、蒼い海だったのだから。
「海をも蘇(よみがえ)らせた」
信じられなかった。さっきの場所よりほんの少し離れた場所だというのに、海がこんなにも綺麗だなんて。
「ゆうさんが始めに言った言葉だ。 森が荒れれば、海も荒れる」
俺はただ独り、何も考えられずその場で立ち尽(つ)くしていた。俺が見ているその景色は、どんな言葉も、どんな説明をもってしても表現出来ないものだったのだから。
「これが、人間の知恵 らしい」
アスラエルは笑顔でそう言って笑った。
ゆうさんの知る人間の知識。俺達を造った、憎(にく)いと思った人間が、この愛さこい村に住むみんなに希望をもたらしている。
きっと、りうはこんなゆうさんに惹(ひ)かれて人間の住む世界へと行きたがっているのだろうか。りうだけじゃない。ぴんくや黄色だって聖美さんだって、ゆうさんに親しみ、そして何よりも人を理解している。
きっと俺だけなのだろう。こんなにも狭い心で世界を見つめているのは・・・。
俺はしばらく、昆布の大地から生えている木の苗を見つめていた。そして、それはいつしか、俺を腐った昆布狩りへと足を運ばせたのだった。
10/8(さくら)
私はこの子に、定期的に絵を描かせている。
題材は自由で、気の赴(おもむ)くままに描かせている。
この愛さこい村が出来た頃のこの子の絵はとても絵とよべるものでは無かった。
しかし、最近は、時にものすごい才能を発揮することがある。鉛筆一本で、まるでその絵が生きているかのような絵を描きあげてしまうのだ。
ただ、一つ気になること。
それは、その絵はまさに地獄絵図の様な恐ろしい光景だということだ。
10/10(りう)
みうが「ゆうさんに逢いたい」という一言から始まったこの旅行だったのだが、みうを見ている分にはまだ当分帰れそうにも無かった。みうは相変わらずゆうさんに甘えたい放題なのだ。
ゆうさんというのは、私達がまだ幼かった頃、人間の住む世界でお世話になった人間。
なぜ、私達がゆうさんに育てられたのかは、まだ聞いていない。
たぶん、きっと。
知るのが怖いからだと思う。
私は昆布取りに行くことにした。
最近は、作業内容も覚えたし(とは言っても、昆布取って地面に撒(ま)くだけなの)、お料理だってお手の物。ここでは、みんなで一緒にお料理をしたり、昆布取ったりといったことがみんなと共存するための必要不可欠なものとなっているのだ。
海に浮いている昆布を両手いっぱいに取って、まだ昆布を撒いていない場所へと持っていく。単純な作業だ。
最初は結構体力が必要なので苦労したのだが、三日も過ぎたら慣れたもの。今ではみんなと同じぐらい働けるようになった。
けれど最近になって、少し可笑(おか)しなことに気が付いた。こうも単純作業が続くと、不思議と身体が勝手に動いてしまうようになるのである。
それだけではない。その時、自分の脳は全く別のことを考えているのだ。
私は気が付くといつも、自分の生い立ちや将来のことについて考えている。しかし、結局これといった納得のいく答えが出ずに悩み、それに対して何にも出来ないもどかしさ、それからなんだか訳のわからないもやもやまでもが頭の中を駆け巡って、遂(つい)には途中で考えるのを止めてしまうのだった。
・・・はぁ ―――
だから私は、いつも羨(うらや)ましく思ってしまうのである。
あんなに一生懸命にゆうさんに甘えられるみうを。
あんなに一生懸命にお手伝いをしている優希君を。
あ。そういえば、瑛緋さんは今、何をしているんだろう・・・。
そんなことを考えながら、私はまた昆布を両手いっぱいに抱え運んでいるのだった。