8/3(愛さ)
あなたはなぜ私に触れるの?
私に触れないで。
それ以上、近づかないで・・・。
8/4(りう)
アクアの崩壊後、愛さこい村に帰ってきた私達を村のみんなは心良く迎え入れてくれた。
けれど、数日後、私達はたくさんの問題を抱え込むこととなる。
それは、アクアの特殊部隊になるはずだった卵たちの住む場所、食べ物の確保、そして私達との価値観の違いだった。
愛さこい村にやってきた卵たちは全部で54人。
みんなでいろいろと相談し話し合った結果、結局、愛さこい村に半分。そして残りの半分はアスラエルの住んでいる島、そう、卯階堂の研究が一番初めに行われていた場所でもあり、私が手にすることとなったこの武器を封印していた場所でもある、この愛さこい村より西に少し帆を進めた場所にある砂漠と化した離島に住むことで今は落ち着いている。
「エルちゃん達、大丈夫かな」
昼食後、私達がめうちゃん家(ち)の食卓で食後のお茶を飲みながらのんびりしていると、みうが心配そうに言った。
「大丈夫よ。きっとうまくやっていてくれると思うわ」
めうちゃんはたまに、なんの根拠もなくそう言い切ってしまうときがある。でも可笑(おか)しなことに、今までにその予想がはずれたことは一度きりも無いのだ。
「めうちゃんが言うからには、きっと大丈夫ね」
私がそう言うと、みうは笑顔になって、またすぐにクッキーに似た玄関の扉を勢い良く開け、さんさんと輝く太陽の陽射しの中へと飛び込んでいった。
「なんでみうは、いつもああなのかな」
私がみうの後ろ姿を目にしながらそう言うと、隣にいためうちゃんと聖美さん、そしてたるとちゃんはくすくすと笑い出した。
「みうちゃんにとっては、あれが日課みたいなものなのよ」
「へんてこな日課ですね」
めうちゃんの答えにすかさずのつっこみを入れるたるとちゃん。
私達の暮らしているこの家にも新しい家族が増えた―――そう思うと、なんだか嬉しくなって、気づいたら私も笑顔になってしまうのである。
窓の外に何気なく目を向けてみると、そこには蒼々と広がる大海原の上をゆっくりと雲が流れていた。
(愛さこい村も、あの雲のようにゆっくりと流れているんだわ―――)
そう思ったとたん、いきなり脳裏に優希君の顔が浮かんできたので、私はあわててその雑念を払いのけた。けれど・・・
「大丈夫?りうちゃん、顔、赤いわよ?」
聖美さんに指摘されて、ますます心臓のどきどきが止まらなくなってしまったのだった。
8/5(めう)
村を歩いていると、たまに見かけることがある。
足を少し引きずりながら歩いている愛さ。身体の一部が変形している愛さ。
卯階堂の研究所から抜け出したときに受けた傷が、今も残っているのだ。
「こんにちは」
たまたま通りすがるその愛さに私が挨拶をすると、相手の愛さも「こんにちは」と笑顔で返してくれる。
そしてそのまま、私は目的の場所へと向かった。
その場所とは、愛さこい村のはずれにある、とある大きな建物。
私はその目的の場所に着き、その建物の戸を開けると、いつの間にか子供達が私に駆け寄ってきて笑顔いっぱいで抱きついてきた。
「みんな良い子にしてた?」
この建物は、今は保育園として使われている。
「はーいっ」
けれど、その昔は、私達、愛さが研究所から命からがら逃げ延(の)び、そして雨乞(あまご)いにとこの島に初めて造った建物でもある。
私が子供達と戯(たわむ)れていると、その廊下の奥からここの管理人でもあり、みんなの先生でもある『さくら』先生がやってきた。
「久しぶりね」
と、さくら先生は穏やかな笑顔で私に言った。
私はその問いに笑顔で答える。
「さっ、みんな、もうすぐお昼寝の時間だから、みんなで一緒にお布団引いて頂戴っ」
さくら先生がそう言うと、子供達は「はーいっ」と言って、勢い良く皆教室に入ってゆく。
私はその子供達が全員教室に入ったことを確認してから、さくら先生に言った。
「あの子は、どう?」
そう言うと、さくら先生は何も言わずに首を少しだけ横に振る。
あの子とは、私達が研究所から逃げ出す時にさくら先生と一緒にいた女の子の愛さのことだ。
彼女は、あれからずっと口を利(き)くことも無く、この建物に入ってからというもの、それからは一歩も外に出たことも、出ようとしたことも無いのだ。
「そう・・・。忙しいのに、お邪魔しちゃったわね」
「そんなことないわ。また来てね」
私達は笑顔で交わす。
けれど、その笑顔は本当の笑顔では無い。
心の底から笑える日を、いくら願っていても、それは叶(かな)わないのだから・・・。
8/6(りう)
朝食を食べた後、私達は人参の種を持って愛さこい畑へと向かっていた。
「ひっかっげっがっ涼しいのぴょんっ♪」
みうは相変わらずの元気っぷりをはっきしながら、夏の陽射しを避けるように木の木陰になっている道のはじっこをぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「今からそんなに元気だと、後で疲れちゃうわよ」
私がそんなことを言ったところで、みうの元気っぷりはおさまることを知らない。
「んっぴょっん♪んっぴょっん♪」
検(あらた)めて見ると、みうはなんでも歌にして歌うことが出来る天才さんなのだ。言い換えれば、どんな生き物をも笑顔にしてしまうことの出来る天才さん。
―――それはちょっと言いすぎかな。
そんなことを思っていると、微かに森の奥の方から、カンカンカンッという音が聞こえてきた。
「なんの音ぴょんっ?」
「愛さこい村にやってきた新しい家族のために、優希君が家を建てているのよ」
新しくやってきた家族というのは、アクアの特殊部隊の卵たちのこと。その愛さ達のために、優希君は率先して一役買っているのだ。
「見に行く?」
みうの突然の発言に、私はなぜだかびっくりしてしまう。
「それよりも、愛さこい畑に種を撒(ま)きに行くのが先っ」
そう言って、みうを愛さこい畑へと強制的に促(うなが)してしまった。
なぜだか分からない。けれど、この胸のドキドキは、理由(わけ)も無くやってきてしまうのだから・・・。
8/7(りう)
皆が寝静まった深夜。
私は独り、ベッドの上でいつまでも眠れないでいた。
あの時―――みうが卯階堂によって殺されそうになった時。一筋の光が私達の目の前を走り、次の瞬間、気が付いたら優希君がみうを抱えて私達の目の前に現れた―――。
その映像が、いつまでも私の頭の中を過(よ)ぎっていた。そして、その映像は、日がたつにつれ、だんだんと美化されてくる。
隣を見ると、みうがベッドの上で気持ちよさそうに寝息をたてていた。
「私・・・どうかしちゃったのかしら・・・」
私がみうに話しかける。当然、みうはそんな私の言葉を聴いているわけもなく、すやすやと寝入っている。が、しかし、
「どうしたの?りうちゃん」
私の後ろから突然めうちゃんの声が聞こえてきたので、びっくりして後ろを振り返ると、そこには月明かりを受けて微かに光っているめうちゃんのやさしそうな笑顔が枕越しに見てとれた。
「べっ・べつに、なんでもないのよっ」
たるとちゃんがこの家に住むことになったので、今までめうちゃんと聖美さんが寝ていた二階をたるとちゃんに譲(ゆず)り、その代わりに、まだ余裕があった一階の私達の寝室にめうちゃんが移動することになっていたのだ。
「そう・・・ならいいの」
めうちゃんはそう言うと、静かにまぶたを閉じた。
めうちゃんが眠ったのを確認した後、私は静かに自分の胸に手をあてる。
それはまるで、私のものでは無くなってしまったかの様に静かに、高鳴っていた。
私はその後も寝入るまでの間、部屋の中を微かに照らす白銀に輝く綺麗なお月様を静かに、眺めていたのだった。
8/8(たると)
この村に来てから、分かったことが一つあります。
それは、この村に住む全員が今を精一杯生きているということです。
それは強制に行われているわけではありません。
疲れていたら、休んでもいいのです。
無理をしなくてもいいのです。
けれど、村のみんなはそんな愛さ達を理解し、そしてお互いが支えあって生きています。
とても、素晴らしいことだと思います。
皆、決して、歩んできた道は平らな道ではありません。
卯階堂に利用されるために創られ、そのために他国に狙われて、逃げ延びた。
中には、親や兄弟を失った愛さもいるでしょう。
親友を失った愛さもいるでしょう。
けれど、皆、笑顔を絶やさないのです。
私もここで、みんなと一緒に暮らしたい。
あなたが私にしてくれることを、私はあなたにしてあげたい。
あなたが私にしてくれるように、私もあなたにしてあげたい。
私は、いつしか、この村や、この村に住む愛さ、そして、その全てがいとおしく思っている気持ちが自分の中にあるということを、感じていました。
8/9(愛さ)
何度、涙を流したのだろうか。
何度、涙を堪(こら)えたのだろうか。
今では思い出せないくらい、もう私は歩いてきた。
だから、もう、いいよね。
休んでも、いいよね。
そう思いながら、私は今日も目を瞑(つむ)る。
けれど、気が付くと、また、明日という日はやってくるのだ。