10/21(りう)
手足の指先の感覚がだんだんとこの寒さのせいで無くなってゆく。
すべてが真っ暗で、何も聞こえない。身動きも出来ない。
そういえば、だんだんとここの空気も薄くなってきている。少し、息苦しい。
もし、このまま、誰も助けに来てくれなかったら・・・
「優希君・・・」
私は咄嗟(とっさ)に優希君の名を呼んだ。きっと・・・怖かったんだと思う。
「ねぇ、優希君ってば・・・」
・・・返事が無い。
――― あの時。
地面が揺れ、天井すべてが崩れ落ちる瞬間、優希君は私を庇(かば)ってくれた。
天井から落ちてきた岩の塊(かたまり)から、自分の身を挺(てい)して私を守ってくれたのだ。
「優希君っ」
・・・・・・。
私は優希君の声が聴きたかった。
「優希君っ」
・・・・・・。
今すぐに。優希君がそっけなく返す、あのいつものような声が。
「優希・・・君・・・っ」
・・・・・・。
考えたくない。考えてもいないのに。
私の目からはとめどなく涙が溢(あふ)れ出していた。
「優希君ってば・・・っ」
声にならない声で、私は精一杯、何度も何度も優希君の名を呼び続けた。
届く希望すら奪われてしまうような、この暗闇の中で ―――
10/21(りう)
あれはきっと、夢だったんだと思う。
「・・・行かなくちゃ」
そう言うと、みうは私とは逆の方向へと振り向いて、この真っ白な空間から自分だけ先に抜け出してしまうかのように、ゆっくりとその歩を進めたのである。
「・・・待ってみう!行かないでっ!」
私は無性に不安になり、みうに向かって叫んだ。
「りうちゃん」
その時、今度は私の背後から私を呼ぶめうちゃんの声が聞こえてきたのである。
「めうちゃん!」
私は振り向いて、その時、確かにその姿をはっきりと確認した。
「よかった・・・めうちゃんっ」
「私も行くね・・・」
めうちゃんは私の言葉を遮(さえぎ)り、そのコトバだけを残すと、ゆっくりと私から遠ざかっていったのである。
「待ってめうちゃん!何処に行くのっ!?」
私は直様(すぐさま)その後を追った。けれど、走っても走っても、何故(なぜ)かめうちゃんに追いつくことが出来ないのだ。
めうちゃんは私の質問に答えることも無く、終(つい)には私の前からそのまま姿を消してしまったのである。
「どうして・・・どうしてみんな私を置いていなくなっちゃうの・・・っ?」
私が何も出来ずにただ立ち尽くしていると、今度は優希君の姿が地面からゆっくりと浮かび上がるようにして、私の目の前に姿を現したのである。
「優希君っ・・・良かった、無事だったのね」
私は優希君の傍(そば)に駆け寄った。しかし・・・。
「俺も・・・そろそろ行くよ」
そう言うと、今度は優希君までもが私から遠ざかっていったのである。
私は絶対に離れまいと、必死になって優希君の後を追った。
けれど、走っても走っても、優希君に追いつくことは出来なかった。またしても私は、その姿を見失ってしまったのである。
「・・・どうして・・・みんな・・・」
気がつくと、なにやらざわめきに似た小さな音が私の耳へと入ってきた。
私はそっと耳を澄(す)ます。
・・・何と言っているのかはっきりとは聞き取れない。だが、やっぱり何かが聞こえてくるのだけは確かだった。
けれど、たぶんこれは優希君の声じゃない。だとしたら、いったい・・・。
私の意識は朦朧(もうろう)としていた。けれど、そのざわめきはだんだんと大きくなってゆくのである。
(私の・・・錯覚(さっかく)かしら・・・)
そう思い、長い間つぶっていた目を開いてみることにした・・・力が入らない。けれど、私は意識を集中させ、なんとか瞼(まぶた)を上げることが出来た。
――― その瞬間、眩しい光りに、私は包まれた。
「りうちゃんっ!りうちゃん大丈夫っ!?」
光りに覆(おお)われているその先に、誰だかは分からないが、たくさんの愛さ達がいる。
時間が経(た)つにつれ、しだいにその輪郭(りんかく)がはっきりと見えてくる。
そして、その光りが薄く晴れてきた時、私ははっきりとその姿を確認することが出来たのである。
それは紛(まぎ)れも無く、みう、めうちゃん、アスラエル、この島で仲良くなった愛さ達、そして、きっと私達のために駆けつけてきてくれたのであろう愛さこい村の仲間達だった。
「今、助けるからねっ」
笑顔だったみんなの顔が、だんだんと涙色に染まってゆく。
私はその光景を、なぜか冷静に下から眺めていた。
――― ポタッ
何かが私の頬に伝わってきた。
――― ポタッ
それは、みうの瞳から零(こぼ)れ落ちた、小さな涙だった。
「何泣いてるのよ」
私は笑っていた。可笑しかったのだ。みうを含め、村愛さみんなの色とりどりの顔色が、そこには見てとれたのだから。
「りうちゃんだって泣いてるのぴょんっ!」
その時に、みうに言われて初めて気が付いたのだった。
私も、泣いているっていうことに。
(りう)
――― あれから三ヶ月が過ぎた。
「みうったら、何やってるのかしら」
愛さこい村は今、『愛さこい村大運動会』の真っ最中だった。
「いつものように、始まる頃にはまた何処かから湧(わ)いて出てくるわよ」
私達はあの事故以来、今までよりも結束が強くなったと思う。
「めうちゃん・・・なんか虫さんみたいな言い方じゃない?」
村愛さと・・・そして、元アクアの愛さ達。
「うふふ。そんなことないわよ」
愛さこい村の空は雲一つ無い青空だった。それはまるで、この愛さこい村の未来を照らしているかのように・・・。
「んぴょんぴょんっ!!!」
あの時助けられた私と優希君は、今ではすっかり元気になり『愛さこい村大運動会』を楽しんでいる。
「あっ、ほら。みうちゃん来たわよ」
けれど、それはみんながいてくれたから・・・。私達が今、生きているのは、みんなのおかげなのである。
「今日もぴょんぴょん頑張るのぴょんっ!」
感謝している。感謝しても、しきれないぐらい。
「もう、いつもはしゃいでばっかりなんだから・・・」
なんでもない日常が、こんなにもいとおしいと思えるのはとても幸せなことだと思う。
「りうちゃんだって、はしゃいじゃってるのぴょん!」
だから、私はあの時きっと、もう心の中ではすでに決まっていたのかもしれない。
「はしゃいでなんかいませんっ!あっ、みうってば、何処行くのぴょんっ!待ちなさいっ!!!」
――― 私は今この愛さこい村で、服を作っている。
(めう)
先日、アスラエルから「今では緑を取り戻しつつ、元通り元気でやっている」という手紙が届いた。
「よかったわね。みんな、元通り、元気になって」
係り役をしている聖美さんが、これから始まる『愛さこい村大運動会』の種目の一つ、「寒中マラソン」のスタート位置に着き、その合図に使用する白い旗をフリフリさせながら笑顔で言った。
「うん。本当に」
あの後、あの建物はその機能を失ったらしく、この愛さこい村にあった建物への入り口もいつの間にか消えて無くなっていた。
愛さこい村の愛さ達、そして、元アクアの愛さ達も今ではすっかり仲良くなって、一緒に『愛さこい村大運動会』を楽しんでいる。
思えば、今まで、いろいろなことがあったと思う。
けれど、これからが本当のスタートなのだ。
「あっ、もうそろそろ、スタートの時間ね」
大変なのはこれからである。
「それでは、そろそろ始めます。みなさん、スタート位置についてください」
これからもみんなそれぞれが、苦しいこと、悲しいことを経験するだろう。
時には遠回りしたり。時には立ち止まってしまったり・・・。
けれど、それは遠回りや立ち止まっているのでは無く、その愛さにとって、一番の近道でもあるのだ。
そうしてみんな一歩一歩、成長してゆくのである。
私に出来ること ―――
それは、この愛さこい村、この地球のすべてを見守ってゆくことである。
幸せな場所(とき)を ―――
幸せな未来を。
「それでは位置について。よーい、どんっ!!!」
(さくら)
「寒中マラソン」がはじまり、一斉(いっせい)に愛さ達がゴール目指して走り出した。
私は、その後ろ姿をめうちゃん達、係りの愛さと一緒に見送っていた。
「あとは、ゴールに先回りして待っているだけね」
「ちょっと待って。まだいるのよ」
「えっ・・・」
めうちゃんは驚いた様子で、この子を見つめていた。
そう・・・あれから、この子は自分の足で、その先へと歩き出したのだ。
永遠と思われた闇の中から未来へと向けて、その一歩を踏み出したのである。
この子はしばらく、そのままスタート地点に立ち尽くしていた。
私達はその様子をずっと、見守っていた。
その時である。
「んぴょんぴょんっ!早く来ないとビリになっちゃうのぴょんっ!」
あの愛さだった。
「いいのよ。この子はゆっくり行くから、みうちゃんは先に行っててっ!」
めうちゃんがそう言うと、その「みう」と呼ばれた愛さは一目散(いちもくさん)にゴール目指して走っていった。
「みうちゃんって言うんだ。あの愛さ」
めうちゃんは何のことだか、あまり状況は理解出来ていない様子だったのだが、「元気だけが取り柄(え)なの」と笑った。
「・・・そんなことないわよ」
私がそう言った時、
「あっ」
この子がスタート地点から勢い良く、走り出したのである。
どてっ!!!
そして、勢い良く転んだ。
めうちゃんは咄嗟(とっさ)にこの子に駆け寄ろうとしたところを、私は「待って」と言ってその様子を見守った。
すると、この子はゆっくりと立ち上がり、そして、また走り出したのである。
「みうちゃんみたい・・・」
めうちゃんがそう言って笑った。
私も笑顔で、その後ろ姿を見送っていた。
元気に駆け出すあの子の小さな手には、あの愛さが作ったと思われるぬいぐるみが、今もしっかりと握(にぎ)られていた。
おわり。