愛さこい物語 <軌跡 中編>
 

10/21(瑛緋)
この場所で俺は産まれ、育った。
周りには知らない顔ばかりが横を通り過ぎ、一言も言葉を交わすことも無かった。
幼かった俺にとって、その頃の記憶はあまり無い。
だが、卯階堂が零号と名づけた愛さに語りかけていた姿だけは覚えている。その零号と名づけられた愛さは―――

「ジュリアさんはこの女の子を。レヴィリアさんは念のため、村の皆をさくら先生のいる保育園の校庭に避難(ひなん)させてほしいの」
めうさんの発言にその隣にいた二匹の愛さは多少の抵抗はあったものの、なんとか了承し、俺とめうさんはアンダーグラウンドのさらに地下へと向かうエレベーターへと一緒に乗り込んだ。
一切(いっさい)音のしないエレベーターの中で、俺とめうさんは言葉も発することなく、ただ静かに到着の時を待っていた。
俺はめうさんの少し後ろから、その横顔を瞳に映した。その映像は、あの頃とまったく変わらない、幼くて純粋で、それでいて力強い瞳をしためうさんが、そこに存在していた。
俺は気が付くと下を向いたまま顔を上げることが出来なかった。
俺があの時、卯階堂を逃がしたりなんかしていなければ ―――
罪悪感が深く胸に突き刺さった。

「そろそろ到着ね」
めうさんの声で俺は、はっとした。
「この扉の先には、さっきも言ったように、何処に化け物がいるか分からない。まずは俺の後ろからついて来て下さい」
俺は持っていた弓矢をぎゅっと握り締めた。
体の上から微弱な重力がかかると同時に、エレベーターの扉がゆっくりと開く。
俺は扉の周りに化け物がいないことを確認すると、めうさんと共に中央にあるコンピュータ管理室へと向かって走り出した。
「そこに行けば、ここの機能はすべて止まるのね」
「はい」
確かに、俺があの時、すべてを終わらせていれば今、こんなにめうさんを苦しめることは無かっただろう。けれど、アクアが出来たからこそ、俺は今、たくさんの仲間達に出会い、そして共に暮らしている。
その仲間達はみんな、かけがえのない仲間達だ。
一緒にいてこんなにも楽しい時間を過ごしたのは、翡翠(ひすい)と出会ったあの頃以来、始めてだった。
その翡翠でさえも、アクアで出会ったかけがえのない親友なのだ。
だからこそ、俺には責任がある。
俺の周りにいるすべての愛さに。
そして今、俺の周りで笑顔を絶やさないでいてくれるみんなのために・・・。
俺の胸の中にあった迷いはいつしか決意へと変わり、俺を先へと導(みちび)いていった。


10/21(たると)
優希さんとみうさんとりうさんが灯りも持たずに、瑛緋さんを追って洞窟の中へと入っていってしまった・・・
アスラエルさんは困ったように言いました。
「では、私達は灯りを持って後を追いましょう」
私とアスラエルさんは、周りにいた愛さ達には内緒で洞窟へと向かうことにしました。誰にも心配をかけたくなかったのです。
それにしても、なぜ瑛緋さんは独りで洞窟の中に入っていったのでしょう。
そしてその洞窟にはいったい何があるのでしょう。
考えても考えても、答えは一向(いっこう)に見つかりません。
ただ、一つだけ言えること。
それは、優希さんみうさんりうさん、みんな揃(そろ)ってお世話焼き屋さんだということです。
きっとそれだけ心配なのでしょう。
自分以外の生き物のことを思う。
昔の私のままだったらきっとくだらないと思っていたでしょう。
うんざりしていたでしょう。
自分には誰も振り向いてくれないことに、憎んだことでしょう。
けれど、今なら分かるような気がするのです。
この愛さこい村の愛にふれているかぎり、いつかきっと。


10/21(さくら)
愛さ警察長のレヴィリアさんと愛さ消防長のジュリアさんの呼びかけによって、すべての村愛さはこの校庭へと集められその説明を受けた。
村愛さみんなが心配そうに各々(おのおの)に話しかけている。
わたしはふと、いつもの浜辺へと向かった。
そこには、いつもそこに居たかのように、この子が独り佇(たたず)んでいた。
片手には、あの愛さのぬいぐるみが握(にぎ)られている。
どんなことがあっても、この子になんら変わりはない・・・。
私にはそのことがたまに、とても嬉しく思う。安心する。
なんて私は、愚(おろ)かなのだろうか・・・

この子はまだ、その一歩を踏み出していない。
大きな何かによってその手を阻(はば)まれている。
待とう。
この子に陽(ひ)が射(さ)しこむ日を。
そして、その一歩を未来へと向けて踏み出す日を。
すべての子に、どんな時にでもその一歩は必ず宿(やど)っているのだから。


10/21(めう)
愛さこい村の地下深くに眠っていた卯階堂の残したもの。
その正体はわからない。
けれど、私達は、愛さこい村の皆のためにこれを止めなければならない。必ず・・・。
「めうさん・・・」
瑛緋さんはずっと私の目の前を走ってくれていた。なぜか瑛緋さんだけは、この地下施設を知っているようだった。
「もしもの時は、俺をおいて安全な場所へと逃げてくださいね」
けれど、そんな疑問はどうだっていい。瑛緋さんはこうして私達を想ってくれている。それだけの気持ちを、私は受け取っているのだから。
「嫌です」
「即答(そくとう)だね」
瑛緋さんは笑っていた。
けれど、瑛緋さんだってきっと不安なのだ。
私達は中央にあるコンピュータ管理室へと向かって、そこへ通じる廊下をただひたすらに走っていた。
廊下の両側に備えられていた鏡に、瑛緋さんと私の走っている姿が映し出されている。その時ふと、私は瑛緋さんの背中に背負っている綺麗な矢に目が留(と)まった。
瑛緋さんに向きかえり、その本数を数えてみる。
(ひー・ふー・みー・・・)
残りの矢は三本。
その時である。私は違和感を感じて前を走っている瑛緋さんを呼び止めた。
「何か焦(こ)げている匂いしない?」
瑛緋さんは立ち止まり、辺りに気を集中している。
「きっと、化け物が騒いでいるんだろう」
瑛緋さんは背中にあった綺麗な矢を一本引き抜き、いつでも矢を引ける体制をとった。
刹那、
廊下の両側に設置されていた右側の鏡だけが勢いよく大きな音を立てて弾け飛んだかと思うと同時に、なにかとてつもなく大きな影が突然私達の目の前に立ち塞(ふさ)がったのだ。
「下(さ)がってめうちゃんっ!!!」
瑛緋さんに突き飛ばされ地面に手をつく格好になった私は、咄嗟(とっさ)に瑛緋さんの方へと振り返った。
そこには弓を引く瑛緋さんをすべて埋めつくしてしまうかのような大きな影が、その頭上を覆(おお)い尽(つ)くしていたのだった。



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