愛さこい物語 <お届け物編>
 

9/29(りう)
愛さこい村大運動会まで、残り一ヶ月弱。
私達、愛さこい村大運動会実行委員のメンバーは、最終調整の打ち合わせを行っていた。
「ここの係りは、誰に頼もうかしら」
今までずっと愛さこい村大運動会実行委員として影ながらこの村を支えてきためうちゃんは、私達にとって、とても信頼がある。
「適当でいいのよ。係りを頼みますっていう便りを、そのお家の窓から中へ投げ込むの。あとは・・・」
けれど、その性格は、時に穏やかで、時に荒っぽい。
「走って逃げて、来るのを待つのみ」
・・・・・・。
そんな私達の会話を横で聞いていた聖美さん達は、いつものようにくすくすと笑みをこぼしているのだった。

「そういえば、りうちゃんに頼みごとがあるんだけれど・・・」
めうちゃんが私に頼みごとなんて、滅多(めった)に無い質問に私は聞き返した。
「めうちゃんが頼みごとなんて、どうしたの?」
けれど、めうちゃんは「別に大したことないの」という感じで両手を左右に振っている。
「実はね。とある愛さのお家にこの荷物、届けてほしいの」
どんっと机の上に置かれたのは、大きな風呂敷に包まれたとある物体。中身はまだ分からない。
「重そうね」
そんな私の質問を予想していたのか、めうちゃんは「優希君が持っていってくれるわ」と付け加えて、あたふたする優希君に「よろしくね」と追い討ちをかけている。
「はい、地図。場所は・・・結構遠いから、出発は明日が良いと思うの」
めうちゃんからその家までの地図を受け取り、それを机の上に広げてその家までの道のりを確認する。
「この場所に行くには・・・ん・・・ん? これ、海を渡らなくっちゃ行けないんじゃないのっ!?」
慌てる私を他所(よそ)に、いつの間にかめうちゃんは優雅(ゆうが)に紅茶をすすっていた。
そして、カップをゆっくりと机の上に置いて、笑顔でこう言ったのだった。
「舟(ふね)、あるから」
(めちゃくちゃなところは、みうとそっくりね・・・。)
諦(あきら)めた私達(私と優希君)は、その場で同時に溜(た)め息をはいた。


9/30(りう)
用意されていた舟(ふね)は、有(ゆう)に人が10人は入れそうなぐらい、ある程度幅のある長細い形をしている舟だった。
「気を付けていってらっしゃい」
めうちゃんは溢(あふ)れんばかりの笑顔である。
「もーっ」
文句も言いつつ、お届け物の荷物を船尾(せんび)へと積み込む。
「じゃ、行ってきます」
優希君がオール(櫓:ろ)を漕(こ)ぎ始めた。
舟は揺られながら、ゆっくりと前へ進みだす。
みうはまた何処かに遊びに行っているのだろうか、みうを抜かした愛さこい村大運動会実行委員オンナノコんっぴょんチームのみんなは、手を振って見送りをしてくれたのだった。

どれくらい漕ぎ進めたのだろうか。
目的地である島は薄らいではいるが、未(いま)だその姿は海の遥か向こうに見えている。
今まで優希君がかなりの距離を漕いでくれてはいたのだが、それでもすぐには到着出来ないということだけは確かだった。
「めうちゃん、よく私達にこんな遠くまで届け物頼んだものだわ」
さっそく私は優希君に愚痴をこぼしていた。
けれど、一方の優希君は何も言わずにオールを漕いでいる。
「ねぇ、聞いてるの?」
・・・・・・ぎーこ、ぎーこ。
その時、私の中で何かが切れたような気がした。
「ちょっと!いつまで漕いでるのよっ」
興奮してしまうのは、私の悪い癖(くせ)である。
「漕がなきゃ着かないだろっ!?」
(この悪い癖、早く直さなくっちゃ・・・)
私がそんなことを思っていた、その矢先の出来事だった。
「・・・んぴょん・・・」
私達しか乗っていないはずのこの舟の後ろから、突然、愛さの声が聞こえてきたのだ。私達は同時に、その声のした方へと視線を向けた。
もぞもぞ、もぞもぞ。
(に・荷物が動いてるっ!!!)
私は優希君に開けてと言わんばかりに、その荷物に指(ゆび)を指(さ)した。
優希君は荷物に近づき、そして一気に、荷物の結び目を解(ほど)く。
「んぴょんっ!?」
出てきたのは、紛れも無く、みうだった。
「なんでよ」
「来たかったから」
・・・・・・。
みうの笑顔に、私は呆(あき)れて声も出なかったのだった。


お届け物(りう)
朝から漕ぎ始めてやっとの思いで島に着いたのは、空一面オレンジ色に染まり、少し厚着をしないと肌寒く感じる、今にも陽が暮れそうな夕方だった。
「優希君、お疲れ様。荷物、私持つわ」
「いや、大丈夫」
優希君はかなり疲れている。早く、この荷物をお届け先へと運ばなくっちゃ。
私は地図を広げて道のりを確認した後、彼方此方(あちこち)見て回るみうの服を引っ張りながら目的地へと進んでいった。
はじめは視界も良い草原だったのだが、道を進むに連れてだんだんと、視界も狭くなるほどの険(けわ)しい森へとその姿を変えていった。
目的地は山の頂上にあるようで、私達は道なき道を、私はみうを引っ張りながら、優希君は重い荷物を担(かつ)ぎながら、陽も暮れ、あたりはほぼ真っ暗と言ってもいい状態の中を登り歩いていた。
「優希君、大丈夫?」
私は自然と、優希君に声を掛けていた。
「あぁ。大したことない。それよりも、りうは平気か?」
こんな時だからだろうか。何気ない優希君からの問いかけに、何故か私はどきどきしてしまう。
「う・うん。大丈夫・・・」
でも、たぶん、きっと、優希君の方が私の何倍も疲れているのに。
そう思うと、私の胸は締め付けられたように苦しくなってしまうのだった。
「目的地まで、もうそろそろだから」
私の脚(あし)も、力がほとんど入らないぐらいにまで疲労していた。感覚の無い脚を気力だけで前へと踏み出していた。
その時、私達の視界に、白く煙のようなものが空へと流れているのが見えた。
「あぁ。やっと着いた・・・」
煙の麓(ふもと)まで近寄ってみると、そこには大きな木が一本、数多(あまた)輝く星達に見守られ、まるで呼吸をしているかのようにそれは静かに佇んでいた。
よく見ると、その木の麓(ふもと)に何やら建物の明かりらしきものが光っている。
「あれ・・・が、お家(うち)なのかしら」
「そう・・・みたいだな」
「んっぴょんっ!」
突然飛び出したみうの後を追うようにして、私達はその明かりの方へと歩いていったのだった。


お届け物(優希)
コンコンッ
りうが木の麓(ふもと)に造られた家の扉をノックすると、中から歳をとった老人が姿を現した。
「こんな夜中に、誰かね」
その瞬間、俺はめうちゃんのお届け物を渡しに来たという目的を忘れて、相手に対して身構えた。めうちゃんの頼みといえど、その相手が人間だということは、全くと言っていいほど聞いていない。
「あぁ、めうちゃんから頼まれてきたんだね。さぁ、おあがり」
白髪をしたその男性は、俺達を部屋の中へと手招きしている。
その時、りうは俺に小さな声で話しかけてきた。
「ここがめうちゃんの言ってた場所なのかしら・・・」
たぶん、りうも不安なのだろう。
「地図通りだと・・・ここなんだろうな」
俺はあたりを見回した。
全く人気の無い深い森の中。そこに老人が一人。・・・怪しい。
その時である。
「何か良い匂いがするのぴょんっ!!!」
そう言うと、ぴんく(みう)は勝手にその老人の家の中へと入ってしまったのだ。
「みうってば、勝手に入らないのっ!」
りうはぴんくを追いかけて、後からその家の中へと入って行く。
残されたのは、俺と、怪しげな老人一人。
「今日はもう遅い。明日、出発した方が良い。今日は、ここに泊まってゆきなさい」
そう言うと、その老人はふぉっふぉと笑い、白髪の顎鬚(あごひげ)を指で撫(な)でながら部屋の中へと入っていったのだった。


お届け物(りう)
その晩、私達はその老人のお家で一泊だけさせていただくことになった。
「お腹いっぱいぴょんっ」
みうは野菜スープをお腹いっぱい食べたので、あとはぐっすり眠るだけ。
「お腹冷えないように、お布団、ちゃんとかけて寝るのよ」
「はーいっ」
笑顔いっぱいのみうの顔に私はほっとしたのか、その後、私もぐっすりとベッドの上で眠ってしまったのだった。


お届け物(りう)
気がつくと、あたりは真っ暗闇の中、私の寝ているベッドだけが頭上から差し込まれる光によって照らされていた。
降り注ぐその光はとても眩(まぶ)しくて、私は見続けることが出来ず瞼(まぶた)を手で覆(おお)う。
その時、ふと我に返った私は、私の周りに誰もいないのに気がついて、咄嗟(とっさ)にみうの名前を呼んだ。
「みうっ。みうっ、どこなのっ」
・・・・・・
いつの間にか、あたりは私だけを残して物音一つしない暗闇へと、姿を変えていたのだった。

「りうちゃ・・・りうちゃんっ!」
次の瞬間、私はみうの声によって目を覚(さ)ました。
「んぴょんっ!朝ごはんなのぴょんっ!」
みうは私の寝間着の裾(すそ)を引っ張って強引に起こすと、良い匂いのするお部屋へと私を連れて行く。
(夢・・・か・・・)
私は何故か、内心(ないしん)ほっとしていた。
「お腹すいたのぴょんっ!」
誘われて入ったそのお部屋は、真ん中に大きなテーブル、そこにはすでに優希君が何やら食事の準備を始めていて、テーブルの上にはお皿やお箸(はし)等が用意されていた。そして優希君はみうの声に気付くと、私達の方へと振り向き「おはよう」と声を掛けた。
「お・おはよう」
私はまだ寝間着だっていうのに・・・みうってばっんもうっ!

――― それにしても昨夜見た夢はいったい何だったのだろうか・・・
そんなこともいつしか頭から離れ、私達は老人の用意した朝ごはんを頂(いただ)くことにしたのだった。


お届け物(優希)
この老人は何故こんな人気(ひとけ)も無い場所に住んでいるのだろうか。なぜ、めうちゃんとも知り合いで、荷物まで受け取っているのか。
朝食後、独り疑問に思っていると、同じく朝食を取り終えた老人がなにやらがさごそと、俺達の運んできた荷物を解(ほど)き始めた。
俺は横目(よこめ)でその荷物の中身を確認する・・・どうやら、俺達が運んでいた荷物はこの老人の冬服だったらしい。老人は荷物の中から服を何枚か広げ出すと、その中の一番大きな服を選んで着た。
「似合ってるじゃろ」
と言いながら、老人は笑っている。
少し太っていて、上下に揺れるその老人のお腹(なか)だけが、やたらに目立っている。
それを見たぴんく(みう)が何を思ったのか。突然、そのお腹めがけて体当たりをした。
「んぴょんっ!!!」
体当たりをしたぴんくの方が、後へと跳ね返されている。
「相撲なら、まだまだ若いもんには負けんぞい」
「んぴょんぴょんっ!!!」
「みうってば、やめなさいのぴょんっ!!!」
ぐーいぐーい。ぽよよんぽよよん。
ぐーいぐーい。ぽよよんぽよよん。
しばらくの間、その相撲らしきものは続いたのだった。

この老人から聞いた話によると、この山の頂上から愛さこい村やその他の自然、山や海等を観察し、その変化等をみうちゃん達に伝えるというのがこの老人の役割なのだそうだ。
俺はなぜそれを愛さとは関係の無い、しかもこんな島に人間の老人がそんなことをしているのか、質問してみることにした。
「それはじゃな、ここにもうしばらく住んでいれば解(わか)ることじゃよ」
その答えにぴんくが反応する。
「じゃぁ、みう。ここに住むっ!」
「ふぉっふぉっふぉ。じゃぁ、もうしばらく、ここにいるといいじゃろ。飯ならたくさんあるぞなもし」
あるぞなもしって・・・絶対、わざと言っただろ。
俺やりうの気持ちとは裏腹に、その後もぴんくがどうしてもと言い聞かないので、俺達はしばらくの間、この老人の家にお邪魔することとなった。
その時俺は、「住む」という言葉に対して、その後に何故かりうの顔が浮かんできてしまい、心臓が落ち着かなくなってしまったのだった。


お届け物(りう)
みうのせいで、このお家(うち)にしばらくご厄介(やっかい)になることになってしまった。
老人のご好意とはいえ、ずっとこのお家にいることは出来ない。
しばらくの間、数日間だけ、ここでみうのわがままを聞いてあげようかな。
朝食に使った食器洗いを手伝った後、私達は老人にお礼を言い、その後、私達は外をお散歩しながら探検をすることになった。
みうが一番で木製の扉を開け、勢いよく外へと飛び出していく。
「んぴょんぴょんっ!」
愛さこい村の時と、みうはなんら変わらない。
そんな姿を見ていると、どうしてか笑いが込みあげてきて、つい笑ってしまうのである。
その時だった。後を追う私達の目の前で、みうが勢いよく転んでしまったのだ。
私はいつもの癖(くせ)でみうに近寄ったのだが、その私もみうの手前で転倒。
「いたたたた・・・」
振り返ると、後(うし)ろで優希君がその様子を笑いを堪(こら)えながら黙って見ていたので、恥ずかしいのと同時に怒りがふつふつと込み上げてくるのが分かった。
優希君はそんな私に近寄ると、「この大きな木の根のせいだな」と言いながら私の足元に地面から飛び出している木の根っこを摘(つ)まむ。
ふと頭上を見上げると、そこには昨日私達が見た大きな木が、私達を包み込むようにして堂々と、それでいて静かに息づいていたのだった。
「立派な木ね」
下から見上げる木の枝からは、太陽からの光が所々からこぼれ落ち、それはまるでお星様のようにきらきらと輝いていた。
さっきの怒りはどこへやら、私がその光景に見惚(みと)れていると、突然優希君からの「怪我は無いか?」という問いかけが私の心臓をドキっとさせた。
「う・うんっ・・・大丈夫」
優希君の顔を、真正面から見れなかった。
「りうちゃんっりうちゃんっ、熱あるのぴょん?」
みうってばっんもう!そんな訳無いでしょ!
心の中で、独り突っ込みを入れるのだが、みうはそんな私を他所に、何処かへと走っていってしまう。
どたーっ!
「また転んでる・・・」
私と優希君、今度は二人して笑ってしまっていたのだった。


お届け物(優希)
「良い匂いしない?」
りうはそう言うと、なにやら良い匂いがしているのであろう場所へと走り出した。
俺はその後を追った。
「あっ、金木犀(きんもくせい)」
りうはそう言うと、とある木の前に立ち止まり息を大きく吸う動作をする。
すると、どこからともなく俺にまで良い匂いがしてきたのだ。
「良い匂いがするでしょっ」
確かに、りうの目の前にあるその木からは良い匂いがしてきた。けれど、俺はそれよりも振り向いたりうの笑顔の方がつい気になってしまうのである。
「金木犀っていうのか」
俺なりに、精一杯に返したつもりだった。
その時である。
ぴんくが俺達を見下ろしていたあの大きな木に向かって突然走り出したのだ。
「あの木、登れそうなのぴょんっ!」
よく見ると、木の一番低い場所にある枝からは、下に伸びる蔓(つる)らしきものが見える。けれど、一番低い枝とはいっても、地上からはかなりの距離がある。
「あれは登るためにあるんじゃないだろ」
俺のそんな言葉も他所(よそ)に、ぴんくはその蔓にしがみつき、終(しま)いには登り始めたのである。
「みうっ危ないから降りてきてっ」
りうの掛け声にもなんのその。
ぴんくの得意分野、というより、本能に近いと思った。あっという間に、ぴんくは枝から枝へと、木の上の方にまで登ってしまったのである。
「りうちゃんっ!登ってきてぴょんっ!」
ぴんくの声が上から微(かす)かに聞こえてくる。
俺達はしばらく迷っていたのだが、結局、この蔓(つる)を登ることにした。
「優希君、先に行って!」
りうは意外と強情(ごうじょう)なのが分かる。
俺は蔓を引っ張り、切れないということを確認してから、ゆっくりと大きな木に足を掛けた。
蔓のかかっている木の一番下の枝まではかなりの距離があるのは分かっていたのだが、実際に登ってみるとそこまでに辿り着くのは意外に苦労した。
その後、りうも何度か落ちはしたものの、その枝まで無事辿り着くことが出来た。
「ふぅ。みうは何処・・・?」
りうの問いかけに、俺は一瞬、躊躇(ちゅうちょ)した。
何故なら、ぴんくは俺達よりもさらに高い位置にある枝に座って、上から俺達を見下ろしていたからである。
「みうっ、危ないから降りてきて!」
りうの声にぴんくは何も返事はしなかった。ただ、早くこっちに来てと言わんばかりに、手招きをしている。
「もうっ、みうったらっ!」
「とりあえず、登ってみようぜ」
好奇心からか、俺はそんな言葉を口にしていた。
りうも渋々(しぶしぶ)俺の言葉に従い、上へと登り始める。
大きな木だけあって、枝は彼方此方(あちこち)に伸び、蔓さえ登ってしまえばあとは割(わり)と登りやすくなっていた。
そして、俺達がぴんくの座っている木の上の方の枝まで辿り着くと、ぴんくは指をとある方向へと伸ばしてこう言ったのだった。
「ここからの景色、すごく良いのぴょん」
指の先にある景色は、まさに絶景(ぜっけい)だった。
葉の間から見える景色は、空の蒼と木々の緑、そして、風が雲を運び、まるで俺達は地球というプールの中に泳いでいる様に見えた。
「気持ち良いわね」
りうもさっきまでの怒りも他所に、その景色を堪能(たんのう)していた。
俺もその景色をゆっくりと眺めることにした。
傍(かたわ)らにはりうが。そして、遥(はる)か彼方(かなた)に見える海の地平線には、愛さこい村のある小さな島が薄(う)っすらと浮かんで見えている。
きっと、これを安らぎというのだろう。疲れも何もかも、すべてを洗いざらい忘れさせてくれるのだから・・・。


お届け物(りう)
「私ね。いつかは、ゆうさんの住む世界で服を作る仕事に就(つ)きたいと思うの」
私の素直な気持ちから出た言葉だった。
何故、こんなことをみうや優希君に話したのかは分からない。けれど、どうしても、今言わなければいけないような気がしたのだ。
木の上から見下ろす景色が、私の気持ちを後押ししたのかもしれない。
「そっか」
優希君はそっけなく返事を返しただけだった。
そして、みうも、私の言葉には何も答えを返しはしなかった。
私達は長い間、目の前に広がる景色を眺(なが)めていた。
誰も言葉を発しようとはしなかった。
ただ、秋の匂いのする風が、そんな私達を優しく吹きぬけていくのだった。

次の日、みうが「愛さこい村に帰る」と言い出し、私達は半(なか)ば強引に愛さこい村へと引き返すことになった。
「今まで、お世話になりました」
「ふぉっふぉ。またいつでもここに来るといい。歓迎するぞい」
老人にお別れの挨拶をする。あたりにはあの、金木犀の香りが回り漂っていた。
「また来ます」
私の声に老人は笑顔で返事をする。
でも、もしかしたら、これが最後かもしれない。私が私の望む未来を選んでしまったとしたら・・・。
その時の私の心の中はまだ、葛藤で犇(ひし)めいていたのだった。
なぜなら私には、いったいどの道を選んで良いのか、決めるということがこんなにも辛いことだとは思ってもみていなかったのだから・・・。



戻る?