9/11(さくら)
今日もこの子に変化は無かった。
いつものように、朝食を食べさせ、おむつを換え、食べることの無い3時のおやつを運び、夜食を食べさせ、歯を磨く。
ただ一つ、違うところといえば、あの愛さが来る時。
その時だけは、なぜか、私には、この子が楽しんでいるように見えるのだ。
やめておこう。
無闇に期待をするのは医師として失格だ。
9/20(優希)
新しく愛さこい村のメンバーになる、元アクアの住人達の住む家造りもほぼ完成し、その休養期間として、俺は数日間、休暇を取ることになった。
けれど、アクアの頃から常日頃、身体を鍛えていたので、実のところ、そんなに疲れてはいない。
俺は暇つぶしにと、愛さこい畑へと向かうことにした。
今の時間なら、聖美さんや、たると、めうちゃん、ぴんく(みう)に、それに・・・りうもいるはずだ。
俺は人参の種を片手に、愛さこい畑へと向かったのだった。
どのくらいこの白く長く続く道を歩いたのだろうか。
歩いても歩いても、何故か一向に愛さこい畑に到着する気配すら無かった。
(まさか、迷ったんじゃ・・・)
不安に思っていると、道の向こう側に、とある大きな建物が姿を現した。
近づいてみると、10数名はいるであろう子供達が庭で楽しそうに遊んでいる。
しかし、なんでこんなに大きな建物がこんな場所に・・・。
俺は好奇心からなのか、気がついたらその建物の近くへと足を運んでいた。
「こんにちわ」
その時、突然、後(うしろ)から大人びた女性の愛さに声を掛けられ、少したじろいでしまった。
「す・すみません。勝手に・・・入ってしまって・・・」
そう言うと、その愛さは「ううん。中に入って、お茶でもどう?」と、俺を建物の中へと半(なか)ば強引に招(まね)き入れたのだった。
中に入ってみると、そこはどうやら子供達に教育などを教えている学校のような場所だった。
「他には・・・そうねぇ。病気や身体の不自由な愛さもここに泊り込みで住んでいるわ」
そう案内された建物の奥には、思ったよりも多くの愛さ達が各部屋へと割り当てられ、そこに住んでいる様子だった。
「ここに住む愛さ達のほとんどはね、卯階堂がアクアを創るその前に彼が働いていた研究所、そこから逃げ出したときに傷を負った愛さ達なの」
淡々とその話は続いた。
「傷は何も外見だけではないわ。心の傷もそう・・・。私はね、その子達のお世話をする係りなのです」
最後は笑顔でそう言う彼女に、俺の胸は小さな痛みを覚えた。
「お邪魔してしまって、すみません」
「いいの。 暇だから、また来てね」
そう言う彼女の言葉が、今の俺にはとても辛かった。
「また、来ます」
そう言い残して、俺はその場を後にしたのだった。
9/21(優希)
あれから、ずっと、俺はあの愛さ達のことが頭から離れないでいた。
身体に残った障害を抱えて過ごす愛さ。心に傷を負ったまま、この村に暮す愛さ。
かたちは違えど、皆、大変な思いをしているのだ。
その時に、ふと思ったこと。
何か出来ないだろうか。
あの愛さ達に、何かしてあげられることはないだろうか。
気づけば、俺はまた、あの建物へと足を運んでいたのだった。
「いらっしゃい。お茶でもどう?」
俺は促(うなが)されたとおりに、その女性の愛さの後ろについて歩く。
彼女はとある部屋の中へ俺を案内すると、お茶を入れはじめた。
「このお茶はね。子供達が取ってきた ねこじゃらし っていう草で作ったお茶なの」
そう言うと、「飲んでみて」と俺を期待いっぱいの目で見つめている。
「いただきます」
ゆっくりと、味を確かめるように口へと運んだ。
「あっ、意外とおいしいですね」
「でしょーっ」
彼女は嬉しそうに言う。
俺はタイミングを見計らって、言った。
「突然に言うのも何なんですが・・・、俺に何かお手伝い出来ることって、ありますか?」
その言葉に、彼女は一瞬、何がなんだか分からないでいる様子だった。
けれど、少し間のあいた後に、ゆっくりと言葉を発した。
「大丈夫よ。ここは私達だけで、十分、間に合っているわ」
「なんでもいいんですっ。掃除だって、子供達の世話だって、なんだってやりますから」
気づいたら、俺は少し、興奮していたのかもしれない。
「・・・残念だけど、まだあなたには早すぎるわ」
真剣な眼差しで見つめたまま、その視線はまっすぐに俺の瞳へと向けられていた。
その時俺は、何も言えなかった。いや、微動だにすることさえ出来なかった。
帰り道。
俺はやるせない思いでいっぱいだった。
何で、俺を認めてくれないのか。
何で、俺では役に立たないのか。
考えれば考えるほど、悔しくて、腹が立った。
理由が知りたかった。
俺が出来ない理由を。
誰もいない海岸で、俺は力いっぱいに叫んでいた。目の前に広がる海は、そんな俺を気にする気配すらなく自由に、それでいて力強く漂う波に、俺は唇を噛んだ。
9/24(優希)
俺は、何のためにここにいるのだろうか。
俺は、このままここに居続けてもいいのだろうか・・・。
気づけば、俺は浜辺の上で寝転がりながら、蒼(あお)く澄(す)み切った空をゆっくりと流れる雲を見つめていた。
あれから俺は、自分が何なのか、そして、俺はこれから何がやりたくて、将来、何になりたいのかをずっと考えていた。
けれど、結局、これだという道を決めることが出来ないでいた。いや、分からないのだ。
この村に来て、石造りの家を造ったり、畑だってそれなりに頑張ってやってきた。それが少しは自分には価値があるのだという自信にも繋(つな)がっていたのかもしれない。
しかし、あの愛さは俺のことを必要とはしなかった。
「あなたにはまだ早すぎるわ―――」
この一言で、すべてを否定されたような気がした。
悔しかった。
けれど、その一方で、俺の中に何も出来ない自分を認めてしまう自分が居て、結局は身動きも出来ない状態になってしまうのだった。
「はぁ・・・」
「どうしたのよ、そんなため息なんかついちゃって」
突然に声をかけられたので俺は慌てて声のした方に振り向くと、そこにはりうが笑(え)みを浮かばせながら独り佇(たたず)んでいた。
「居たのかよ」
俺はまた砂浜に寝転がることに決めた。今は、誰とも顔を合わせたくない気分だったのだ。
けれど、りうは俺の方に近づいてくると、寝転がっている俺の横に座って、なにやら手に持っていた籠(かご)の中をごそごそと探(さぐ)りはじめている。
しばらくすると、その籠の中から大きな紙を俺の横で広げはじめた。
「はい。これが愛さこい村大運動会の予定表」
俺がその紙を横目で見ると、そこには一年間の運動会の予定がびっしりと書き込まれていた。
「おいおい。すごいなこれ」
読んでみると、そこには『おみこしリレー』や『かくれんぼ』、中には『どろんこ』といった、何やら意味の分からないものまで予定されている。
「これ全部、優希君に係りやってもらうから」
りうの強引な発言に、俺は当然くってかかろう、そう思った矢先 ―――
「と、めうちゃんが申しておりました。」
りうは満面のすまし顔だ。
俺は反論したくても、めうちゃんの言ったことだと知ると何故か言葉も出なくなってしまうのである。
そんな様子を見ていたりうは、俺が何も言えないのをいいことにさらに追い討ちをかけてくる。
「今まで愛さこい村大運動会実行委員のお仕事、全部私達がやってたんだし」
そう言うと、「じゃ、また後のことは追って連絡するからっ」と言って、ここから逃げるように走り去って行ってしまったのだ。
秋の気配を感じる少し冷たい風が、あたりをゆっくりと吹き抜ける。
「はぁ・・・」
俺はまた横になり、空を見上げた。
けれど、そこには、今までの孤独な空ではなく、笑顔の満ちる愛さこい村大運動会の景色が、想い映っていたのだった。
9/26(さくら)
最近、あの愛さをよく見かける。
気が付くと、あの愛さはこの部屋の中に座っているのだ。そしてあの時 ―――
確かに私は、誰にも口を開くことのないこの子が、あの愛さの前で何かの単語を発している様子を確認したのだ。
あの愛さは、この子にだけではなく、私にも小さな変化を与えている。
しかし、それがこの子にとって、最善の方法なのだとしたら。
私は、あの愛さがどんな愛さなのか。一度、話し合いをしなければならないだろう。
9/27(さくら)
昔、この子が夜になっても全く眠らない、ということがあった。
それは明け方になっても続き、心配した私は、その夜、この子が眠りにつくまでこの部屋でこの子を見守っていることにした。
それ以来、毎晩この部屋で日記を書くことが私の日課になった。
彼女は私の横で、今、ぐっすりと眠っている。
少しずつではあるが、彼女は前へと進みだしている。
他の愛さ達ではなんでもないことも、この子にしてみれば、大きな障害を乗り越えた時と同じなのだ。
今度、あの愛さと会おう。
それが、少しでもこの子のためになるのならば・・・。